いつ、きみに伝えようか。 この、たくさんの ありがとう。






多謝





きみに たくさんの ありがとう を。






 降り注ぐ月華の光を浴びて目を細めた三上に、渋沢は目を細めた。
 彼には数え切れない優しさと喜びを貰ったのだ。
 渋沢は三上の姿に邪魔をしないようにと静かにドアを閉めたが、錆びてきているドアは音を立ててその静寂を壊した。
 空を見上げていた顔を入り口に向けた三上が不敵な笑みをつくる。
「よう。でも、いいのかよ。天下のキャプテン様がこんなことしてさ」
 揶揄うような声に渋沢は肩を竦めて笑ってみせた。
「最後のときぐらい築き上げた信頼を逆手にとって何かしてみないと勿体無いじゃないか。それに俺はもう引退してるんだからキャプテンじゃないだろうに」
「そりゃそうだ。明日には俺もお前も中等部の卒業だしな。
 つーか、築き上げた信頼とかさらっと言えるお前がすげぇよ」
 そう言って三上は軽く声を立てて笑った。
 確かに。
 成績優秀。品行方正。人のよい笑顔に真摯な態度。人を惹きつけるにも、同級生・下級生に信用されるのも、諸先生方の信頼を得るにも十分な要素を持っている渋沢ならではの言葉だ。なのに、彼の言葉はこんな悪戯めいたもの。
「まさかお前。その為だけにこんなところに呼び出したのかよ」
「何を言ってるんだ?三上も一度でいいから夜の学校の屋上に入ってみたいと言っていただろう」
 呆れたようにものを言った三上に渋沢は引け目を感じるでもなく堂々と言い返した。
「今までの学校生活で頼まれた事を相手の予想を裏切ってより良い状態に叶えてみせていたんだ。これぐらいの褒美は許される範囲内だろう?」
 にこりと笑って言い放つことは強ち間違いでもないが彼以外が言えば単なる戯言である。
「褒美も何もお前。完璧を装って教室の鍵を一つ開けといただけじゃねぇか」
 こんなことを勝手にやったことがバレたら怒られるのは間違いない。だが、渋沢がやって見せたのは実に巧妙だった。
 普通、学校は人が全員出切った後、ガードマンによってセキュリティーが入れられると翌日にセキュリティーを切るまでたとえ鍵を開けた状態にしておいてもそのセキュリティーの会社に鍵が開いていると、ようするに侵入者がいると知らせが入るのだという。それに応じてその会社からガードマンが派遣される。少なくともこの武蔵森学園はそうであった。そうだというのに、如何なる操作を行ったのか三上には謎なことだが、「この時間に学校の屋上で」という渋沢からの手紙に面白半分に従ってみた結果はご覧のとおり、とでもいうべきものだ。
 渋沢と三上は誰に知られることもなく確かにそこにいる。渋沢には何か作業が残っていたのか到着時間が三上のそれより数分遅れたが。渋沢はてっきり文系人間だと思っていた三上の予想は見事外れたのだった。勿論、三上は渋沢の成績の結果はどれをとっても文句なしにスバラシイことは良く知ってはいたが。
「で?何の用だよ。態々寮を抜け出してこんなトコで」
 三上は真直ぐに穏やかに微笑む渋沢を見た。その目は本当に真直ぐで、けれども何故だか逸らしたら負けだと───何に対して負けなのかは不明だが───思っているように見えた。
「用…、と聞かれると困るな……」
 困ったという言葉のとおり、困ったように渋沢は微苦笑を浮かべた。
「ただ、三上に礼がしたかっただけなんだ。お前には多く、とてもたくさんの感謝があるんだが言葉にするには少し難しくって、な。でも、そんな金もないし」
 柔らかな眼差しは一度瞼の中に隠れ、再び現れる。
「そうしたら、思い出したんだ。いつだったか言っていただろう?学校の屋上に夜に入ってみたい、と。少し考えてみたら、これなら出来そうだったんだ」
 三上は呆然としてしまう。この、たぶん歴代で最も優秀であろう元・キャプテンは何を考えているのだろうかと。一見、サッカーが大好きな天然バカ。実は、腹に一物どころか幾物を持っているのかわからないほどに強かな腹黒。だがしかし、こうすると矢張りただの天然だ。
 それは一年のときだったか、二年のときだったか、言った本人でさえ既に覚えていないことの為に夜の学校の、しかも、普段から進入禁止の屋上に渋沢は本人も侵入を果たし、相手にもさせてしまうとは。
「俺がお前に感謝されるような何をしたって言うんだよ」
 呆れ半分、興味半分で三上はそう言った。逆立ちしたところでこの男のような所業は出来ないし、しようとも、したいとも思わない。大きなリスクなんぞ背負うつもりはさらさらないのだ。
「それはお前が気付かないだけだよ。三上にとってはそれだけ些細なことだったとしても、それが俺にはどうしようもないくらい嬉しいことだったりするんだ。
 だから、これは俺からのささやかな礼のつもりなんだが」
 矢張り気に入らないかと溜息をついた相手に三上は笑った。含みも何もなく、只管笑う。もしかしたら、渋沢の天然さを笑ったのかもしれないが、意図したわけでもない自然に溢れたものなら人を不快にさせるようなことはない。ただ、楽しげに三上は笑った。
「あー、ホント。お前ってサイッコー」
 クク、と笑った三上はまた夜空を見上げた。手に届きそうな空。
「渋沢」
 つられるようにしててんを見ていた渋沢を三上は自分の方へ引き戻す。偶にこの男が何を考えているのかわからず、何とも漠然とした不安を覚えることがある。だったらこうして呼んでみればいい。彼は必ず振り向くのだから。こうして、真直ぐに。
「お前にしちゃ、上出来だぜ」
 その三上の言葉に漸く安堵したように渋沢はゆっくりと笑みを広げていった。
「「これからも、どうぞよろしく」」





               Fin
 珍しくCP色の薄い話となりました。どちらかというと友情の方が強いんじゃないかな、と。敢えて言うのなら……どちらでしょう?渋三っぽいかなと私は思ったんですが。
 セキュリティーは私が小学生のときに自分の学校はこんなんだ、みたいなのをチラッと聞いた事があるようなないような。誰も信じないから大丈夫だろう。どっちにしろ、森は私立の中学ですからしっかりしたセキュリティーが導入されているのは確かでしょうね。
 三上も言ってましたが、この翌日に彼らは中等部を卒業します。式中に居眠りをしないかが心配です。しなそうだなふたりとも。中高一貫校なので二人はこのままエスカレーター式に高等部に進級です。文武両道を掲げている学校だからきっと偏差値も相当お高いのでしょう。厳しそうだし。
 この話は結構気に入ってます。





             改稿03/12/20