特権所有。






とまり樹






 草木も眠る丑三つ刻。
「寝ろ」
 それは流石に冗談とはいえ、時間はかなり遅い。どれほどかと言えば時計の短針が2週と少して、長針はくるりと下を向いている。日頃渋沢が眠る時間からは3時間近く経っていた。だのに、この男寝ていないのだ。
 三上は真後ろにいる相手を見ずにいた。
 いつもならば部屋の明かりは消えて三上が自分の机のテーブルライトを点けているのみのはずだ。だが、11時になれば完璧に夢の住人になっている男が起きたまま机に向かっていることもあって、部屋は明るいままだった。
「いや、もう少しだから」
 答えが返るのに間がない。それは要するに意識がはっきりしているということである。
 はっきり言おう。異常事態である。
「お前のもう少しなんて当てになるか」
 三上は相変わらず渋沢を振り返らないままに言った。三上は部屋に戻ってからパソコンをいじり続けだ。まだ時間が早い頃に渋沢が予習をしたのかを三上に問えば当然と一言で終わらせられた。そのあたりのことは真面目に片をつけている彼である。
 だが、それとは関係なく、あまりに長い利用時間に渋沢が三上の目の心配をしていた。授業中に眼鏡をかける程度には三上は今現在も眼が少し悪いのだ。
 ふと渋沢の意識が目の前にあるプリント類から離れる。すると、視界が急に暗くなった。
 背後から感じるのは最近三上が気に入ってつけているコロンの香り。
 背中越しに伝わる三上の体温と鼓動。
 左手で包むように目を覆われたまま、渋沢は抗うでもなくじっとしていた。数時間ぶりの接触にほっと息をついた。これだけで安らいでしまう。
「それ、どこまで終わった?」
 目を休ませるつもりなのか、手をはずさないままに三上は言う。
「3分の1、ぐらい、かな」
「ふーん」
 気のない返事をしつつも、後ろから被さる形で渋沢の机の上のプリントやらを確認する。
 視覚を奪われた状態で聴覚からくる紙をめくる音が聞こえて、なんとなく渋沢は居た堪れないような気がして身を捩った。
「三上…?」
 その気持ちのままに名を呼んだ声は不安そうな雰囲気を纏っていたわけだが、三上は気にした風もなく、
「よし。流石だな、俺」
などと満足げに本人を褒める声がするだけだ。
 渋沢がもう一度名前を呼ぼうとしたタイミングで三上は手をどける。
「寝ろ」
「いや、でも…」
 先程の三上の台詞が気になったまま、曖昧な言葉で渋沢は苦笑にがわらう。
 製作途中の資料その他はまだ40近い量がある。
 渋沢は性格上仕事を溜め込むようなことはしない。それなのに今日こんなにも仕事を持っているのは、出会う先で教師陣が頼み、渋沢が全部引き受けたためである。仮にも教師であるならテメェがやれ、と思うのは皆同じであろう。
 お人好し。
 渋沢の為にある言葉に違いないと、三上は今日改めて思ったのだ。
「でも、何だよ」
 格好は変えずに渋沢の顔を仰向けるようにして三上は顔を合わせさせる。逃げられることがないように顎を捉えた。
「だから三上、まだ終わってないんだ」
 大きく反らした首が声を出す振動で微かに震えた。
「終わってんだよ。バーカ」
 ふっと笑って三上は言ってやる。
「何?」
わからないというように何度も瞬く渋沢を三上はくつ、と笑った。
「わっかんねぇ?俺、今までやってたんだけど?」
 顎を放して自分の机のほうを示してみせる。渋沢がその動きにつられて見ると、小型プリンタが幾十枚の紙を吐き出していた。
「……意外だな」
 出来上がった物を見た渋沢の一言がこれだった。
「何が?」
 座っている渋沢を三上は実に楽しげに見下ろす。
「お前が手伝うあたりがだよ」
「あのなぁ。いくら俺でもあんな無謀な量をテメェが受け取ってりゃあな」
「やはり思うか」
 椅子を三上の方に向けていた渋沢は苦笑いで、三上はそんな彼にバーカと言う。それに苦笑をより深くした渋沢はすまんと返して出来たそれをかばんにしまう。流れで再び三上に背を向けた渋沢に、
「渋沢」
 ふと、三上が真面目な声で名前を呼んだ。
「偶には頼れ。無理だと思ったら俺に言え」
 振り返った渋沢が目を瞠る。
「今日みたいなら手伝ってやるよ」
「三上…」
「お前が断れない無類のお人好しだってことはわかってるからな。まぁ。その代わり」
 言葉を途中で止めて、三上は渋沢に軽く口接ける。輝きを落とした銀フレームの細めの眼鏡が軽く触れ、渋沢はそれが邪魔で抜き取る。
「他の奴を頼ったらただじゃおかねぇけどよ」
 三上の言葉が終わるか終わらないかで渋沢から口接け、三上が返す。
「お前が手伝ってくれるなら、十分だ」
 口接けの間に渋沢が言い、そのなかに三上の舌が入り込む。
 鼻に掛かったような吐息が渋沢の唇から零れ落ちると部屋が真っ暗になった。



 翌日の昼からの登校になった渋沢の代わりに三上が届けに来たことで聞いてきた何人かの教師たちに、
「いえ、いろんな先生方から頼まれたものを全てやっていたら寝る暇がなくなったので、いっそのこと昼まで休んでいるように俺が言ったんです。勿論、御理解くださるでしょう?」
特注猫を何枚も被った三上が周囲にも聞こえるようにそう言っていた。



 口の端を微かに持ち上げて三上は笑う。出かけに小さく呟いた渋沢の言葉を思い出して。
 教室に戻る三上の小さな呟きは隣を通った生徒にも聞こえない。



「本当は、お前が手を貸してくれると確信していたから、俺も引き受けたんだよ。三上」





 追記。
 その日の渋沢は遅刻扱いになっていなかったことをここに記しておこう。





                 Fin
 2002年の10/1記念小説。ぎりぎり当日中にあげた話です。
 三上を頼っていいんだぞ、というか頼れ。甘えろ。と言いたかったんです。
 これは改稿に当たってラストを変えました。今までのは言い回しが変わったり、語尾を変えたり、何処かが増えたりだったんですが。





脱稿02/10/1         改稿04/03/01