始まるための終わり






“恋”の終わり






 「好き」なんていう言葉が白々しくなるほど ただ好きだった。
 どうしようもない子供の想いで、
 でも何よりも本気の想いで、
 他の全てがどうでもよくなるくらい好きだった。





 向けた視線は一度も絡まることなく、また今日が終わる。
 常に身近にあったものが自分には与えられなくなった笑顔を見なくなって久しく、彼の顔は常に戸惑いに揺れていた。
 どうしようもなさに溜息しか出ない。
 矢張り言うべきではなかったかとらしくもない後悔をしてみて、三上は自嘲した。全ては今更だが、今更にするからこそ後悔という。後にならなければ悔いないからの後悔か、と思考は迷走した。
 渋沢とのふたり部屋には居づらく、他の連中には適当な理由をでっち上げて説明するのも面倒で、三上はここ一週間以上、寮内でも、ましてや寮の自分の、要するに渋沢のでもあるが部屋でも、眠っていなかった。
 別に初めから外泊するつもりでいたわけではなかった。ただ、一緒にいると渋沢が緊張しているのだ。心が安らぐはずの共にいる時間がそうではなくなったと気付いて、三上は何気なさを装って部屋を出た。その三上の様子はちょっとジュースを買いに行くだけの自然さでありながら、実際には彼は翌朝まで戻りはしなかったわけだが。
 そんな行動が一週間以上続けられていた。三上が自室に行くのは最早、朝の僅かな時間と帰って着替える時間だけだった。
 大きく溜息を吐いて三上は視界から風景を閉め出した。
 ヴ、ヴン。
 自販機の音が夜、やけに大きく響く。
 どうしたものかと思いはするが、実際のところ三上にはどうしようもないのだ。三上にあるのは二択だけだ。昨日までのように過ごすか、ここで寝るか。
 昨日までのように。そう。三上は昨日までの一週間は夜に適当にふらついていれば(年上の)女の方から誘ってきて、そのままヤることヤってその部屋で寝てしまえばよかったわけだが、いくら一般的にヤりたい盛りのお年頃とはいえ、流石にもう勘弁である。別にそんなに女が好きというわけでも、ましてや欲求不満なわけでもないのにこれ以上は御免だった。ただ、そうするとベッドがなく、卒業するまでの少ない日数とはいえこういったソファもどきで寝るしかなくなるのだが。
 仕方なく三上は目を開けた。気が進まないこと甚だしいが、こんなので寝るよりは遥かにマシである。なかにはただ寝かせてくれるだけのもいるだろう、と自分に都合のいいことを考えて立ち上がった。
 玄関の側の目立たないところに常備してある靴を取りに行くのだ。脱寮する為に。
「三上!!」





 向けられている視線は強くもなく、けれど決して弱くもなく。常に向けられているものでもなくて、それはいつものとおりだった。ただ、それに渋沢は視線を返せなかった。
 寮内、教室内、部活を覗いたとき、できていてよさそうなのに何の心構えもできていなくて、いつものように笑顔を返せない。
 その所為か、その日の翌日、いやあの日からか、渋沢は三上の顔を碌に見ていないことに気が付いた。気が付いた今日は実に、その日から一週間以上が過ぎている。
 三上が渋沢がいるときは部屋に戻ってこないのをいいことに渋沢は殆ど部屋から出ない。流石に朝食や夕食には出るし、出れば三上もいるわけだが、三上があれでいて上手くやっているらしく二人が一緒にいないことを気にする者もいなかった。
 そこまで接触が切れていたわけだから、渋沢は気付きもしなかった。夜に戻ってくることもないから大方誰かの部屋で眠っているのだろうと漠然と思っていたのだ。



 なのに、今日。聞いてしまったこと。



 このまま済し崩しにして、有耶無耶に三上の告白おもいを消してしまおうと思っていた。答えることなんて、いきなり好きだなんて言われても困るだけだったのだから。
「なぁ、三上先輩のさ、見た?」
 聞き覚えのない声が聞こえてきて、渋沢は思わず立ち止まった。勿論、「三上」の名の為に。
「ああ。見た見た。アレだろ。首の辺に無茶苦茶付けられてるキスマーク!」
「ばぁか、違ぇよ。あの先輩、腕とか背中とかすっげぇ爪痕だぜ?」
 さっき風呂で一緒だったんだけど、と前置きして言われたその言葉。に。
「ふっふっふ。甘いな、お前ら。三上先輩、ここんとこ毎日シャンプーの匂い違うんだぜ。勿論寮のじゃない」
 何でそんなことわかるんだよと言われて3人目はにんやりと笑う。彼曰く「朝イチでいつも会うから誤魔化す前なんだ」と。
「つーか、お前の部屋ってキャプテンたちの部屋と逆方向じゃねぇか」
「そ。だからそゆことだろ」
 けけけと笑う感じの声。
「うわ。じゃ、三上先輩って毎日とっかえひっかえ?すっげぇ!!」
「それよりアレじゃん?逆ナンで一晩。あの人絶対もてるもんなぁ、しかも年上美人にばっか」
 羨ましい、などと、やいのやいのと話しつつ、渋沢には気付かずにその後輩たちは去って行く。
 渋沢は陰に立ったままその場から動かない。目を見開いて、片手は口を覆い、もう片方は心臓の上を握り締めて固まる。
 吐き気、耳鳴り、頭痛、眩暈。頭がくらくらとして、平衡感覚を失う。立っているのか、明るいのか。それすらも釈然としない。
 そんな状態では思考なんて纏まりそうもないのに、実際には凄い勢いで今までのことが巻き起こる。
 そうなのだ。考え直してみれば、三上が誰かの部屋にいたはずがない。それなら絶対に渋沢の元にひとつ報告が入る。報告と言うか、迷惑と言う言葉に隠して理由を求めるような、今度の喧嘩は何やらかした?と心配する声が。それがなかったのだ。三上が上手くやっているのかと思っていたが、それでも場所だけは届けられてもいいはずだった。それがないのは、即ち、そういうことだったのだ。
 心臓が痛かった。理由なんてさっぱりわからないが、どうしようもなく痛かった。握り潰されるような、かれるような痛さだった。
 だがそれよりもわけもわからずに押し寄せてくる吐き気の方が渋沢には難解だった。湧き上がる嫌悪感と涙。隙を突いて漏れそうになる嗚咽。泣いているわけでもないのに。



 自分ヲ好キダト言ッタ唇ガ他ノ女ノ唇ヲ塞グ。
 自分ヲ真直グニ見ツメタ眼ガ知ラナイ女ヲ映ス。
 自分ハ暫ク見テイナイノニ。
 自分ハ近クニ居ルトモ感じられないのに。



 不意に思考を奪った感情にはっとする。渦巻く、紛れようもない感情。
 この想いは。
 渋沢は三上が居る場所を見当をつけて走り始めた。三上が気に入る嗜好も、選ぶ場所も、そういったことなら何から何まで知っているのだから。
 それだけの時間と空間なら共有していたのだから。
 何故こんなにも必死なのか。
 出ないはずの答えは既に手のなかにあった。





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2003/12/29