背を押す者、はじめる者






Pattern.2





 背を向けていたほうからかかるあまりに馴染んだ、けれどもここ暫く聞いていなかった己を呼ぶ声に、三上は行こうとしていた足を止めた。
「三上……」
 このまま有耶無耶にしてしまうよりも、さっさと決裂を告げられたほうがいい。
 そう思い、踵に重心を移してゆっくりと背後を振り返る。確認さえ要らない。例えどんな状態でも決して間違えることのない相手を見た。ふたりのその間、数メートル。
「よう、渋沢。息が荒いぜ?走ったのかよ?」
 浮かべたのは常に彼が見せている、どこか小ばかにしたような皮肉げな笑み。渋沢の穏やかな笑みポーカーフェイス同様、一切の感情・思惑を感じさせない類ものだった。
 それでいて渋沢が懐かしいと思わされたのは、それが一週間ほど前の渋沢が何も聞いていなかった頃の笑みを三上が意図した為だった。
「三上、話を……」
 渋沢は何とか言葉にしようとする。なのに、何か違和感があって自然と止まった。気付いてしまった、差異。
 シニカルに笑う三上の目はいつも、揶揄いのとおり楽しげな色が浮かんでいる。それが今は酷く冷めた色合いだった。きれいに飾ったデコレーションの一角でそこだけが違う。
「話が何だよ?」
 皮肉に笑う三上のその笑みが向かう先は当然三上本人に対してだ。冷めた眼差しで自嘲しながら、映る先には何かに怯えたような困惑する渋沢がひとり。
 その顔を見て、さっきの考えがまた変わる。有耶無耶にして、ひとりに戻ってしまいたい衝動。それは三上にとって何よりも魅力的だった。
「ねぇんなら、俺行くから」
 何処に、とも言わず。本来なら同じところに帰るはず。同室なのだから。けれど、三上にはそんな気はなく、さっき名も知らぬ後輩たちの会話を聞いた渋沢は、三上に同じことなんてしてほしくなかった。否、してほしくないなんて曖昧で生ぬるい感情ではなくて。はっきりと只管、嫌だった。
「みかっ……」
 もう一度止めたくてその名前を呼ぶ途中、
「三上先輩。暇ならウチに来ません?」
聞き慣れた後輩の声が上手く遮った。
「何、お前の?勘弁しろよ。バカがいるだろ、バカが」
 にこにこと笑う笠井を間近に見下ろす形で三上が嫌そうに眉を寄せた。あまりに見慣れたその光景。つい、この間まで当然のようにあった光景。渋沢もその中の一部だった。
「大丈夫ですよ。誠二はホールで他の連中と格ゲー中ですから。もう暫くは戻りませんね」
 勉強を見てもらいたいと続けた笠井に三上は断る理由もなく、何より下手に渋沢の側にいることでこれ以上醜態を晒したくなかった。
「わぁった。付き合ってやるよ」
 言うと三上は部屋の主の笠井さえも置いて歩き出してしまう。その足を止めさせたい渋沢への牽制のように、
「キャプテン」
「何だ?」
 笠井は声をかけ、その普段どうりの調子に渋沢も反射的にいつものように返す。
「それじゃあ、三上先輩お借りしますね」
 何か、含みの有るような無いような声で宣言された。
「……俺に、態々言うことじゃないだろう」
 いつものように笑った渋沢に、
「それもそうですね」
笠井もまた、笑って返した。










 本当は決してそんなことはないのに、渋沢は広い部屋だと思った。
 ふたり分の家具があるのに、ここの住人は今己一人である。それが渋沢に空虚感をよんだ。
 日常の無い日常。それは非日常というほどのものではなく、日常の或る1コマぐるぐると続いているようだった。
 ただ、漠然と部屋の中央に立ち竦む感覚。
「キャプテーン。居ます?」
 ノックと共にドアを開けた藤代に渋沢は条件反射で笑顔を向ける。
「どうしたんだ?藤代」
「えへへvちょっと…」
 藤代は断りも無く勝手に入る。それは彼がそんなことでは咎めないとわかっているからだ。そしてなんとも微妙な顔で部屋の中を見た。
「とりあえず、座れ。───どうした?」
「いや、いつもならあそこで三上先輩が“こいつはどうもしなくてもいつも来てんじゃねぇか”とか言うのになぁと思って」
 椅子のドアに近いほうに座って藤代はじぃっと渋沢を見た。
「ど、どうした」
 居心地が悪そうにする渋沢を一向に気にせず、藤代は自分が尋ねてきた理由を話すために椅子を勧める。
「さ、キャプテンも座って、座って。俺、今日はマジメな話をしに来たんですよ」
「……いつもは何なんだ?」
 小さく問い返した渋沢の言葉は無視される。
「隠すのもなんなんで、ぶっちゃけちゃいますけど、俺、三上先輩が好きなんです。あ、当然キャプテンもタクも好きですよ。ただ、次元が違って、三上先輩が好きなんです」
 飾り気の無い直球な言葉である。渋沢は藤代の告白に体中が一気に冷たくなるのがわかった。
「でも、三上先輩ってキャプテンのことが好きじゃないですか」
「……………え?」
 あまりにもさらっと言われてしまい反応が遅れること凡そ5秒。
「“え?”ってキャプテン、わっかりますよぉ?俺、三上先輩のことよく見てますもん。好きだから。三上先輩だってそうでしょ?キャプテンのことよく見てるじゃないですか」
 当然の真理、とばかりに言う───ついでに三上の分まで───藤代に、渋沢は戸惑うように笑って。
「そういえば、ここぞというときだけは…」
 呟く。
「そうでしょう。そうでしょう。キャプテンが本当に参っちゃてるときに三上先輩って助けるんですよねv普段は口は出しても手は出さない人なのに」
 たは、と眉を下げて笑ったが、藤代のそれは泣き笑いのようで。
「それでキャプテン。ここからが肝心なんですけど」
 本当に真面目な顔をして藤代は言った。これこそが彼の目的なのだ。
「三上先輩、告ったんでしょう?キャプテンはフッちゃったんスか?」
 キャプテンも三上先輩のこと、特別に好きでしょ、とは、まだ、流石に言わない藤代である。
「……………………………………………え?」
 しかし、藤代の告白されたのだろうと言う確信した言葉自体に渋沢は困惑を隠しきれない。
 先程よりも更に遅れた反応に藤代は、はぁと溜息をついた。わかってないなぁこの人は、と言わんばかりである。
「もう一度言いますけど、わかりますよ?て言うか、わかり易過ぎキャプテン。三上先輩と目合わせようとしないし
 タクだって気付いてますよ」
「かさ…い、も……?」
 呆然としたように、掠れた声で渋沢は聞き返す。
「そっすよ。タクだって三上先輩のこと好きですもん。キャプテンはもう、位置が特殊すぎちゃって嫌いな人なんかいないけど、三上先輩は一緒にいて、漸くって言うか、初めてあの人のことがわかるから。補欠とか二軍とかは嫌ってますけど」
 じぃっと見て言っていたのだが、今度は一向に気にしない。と言うよりも目の前にいる藤代のことすら渋沢は忘れてしまっていそうだ。
「キャプテン!!」
 ぱんっ、と彼の目の前で手を叩いてこっちに戻す。
「気付いたんですか?」
「数十分前に」
 答えた渋沢は苦笑している。あまりの自分の鈍さに、だろう。でも、心配事があるのか、いつもと違って視線が偶にドアに向く。
 言いに行きたいんだろうなぁ、とは思うが、藤代もまだ言わなくてはいけないことがあるのだ。
「あのね、キャプテン。実は俺、謝りに来たんス」
 落ちたトーンに渋沢は藤代の顔に焦点を戻した。彼は俯いてしまっていたけれど。だから続く言葉を待つ。
「俺ね、本当にキャプテンのこと好きなんスよ。でも、でも、キャプテンといると三上先輩は俺のことも見てくれるでしょう?キャプテンのこと心配して。だからってのもあるんです。すいません」
 上目遣いにもう一度、すいませんと謝る藤代に渋沢はふっと微笑んだ。
「それならおあいこかもしれない……」
 ぽかんとして不思議そうな藤代に、
「藤代が殊に側にいた日はさり気なく気遣ってもらっていた。ただ、俺にはお前と違ってそんな自覚は無かったけどな。もしかしたら、無自覚にそれを望んでいたのかもしれない」
そう言って、俺もずるいだろうと笑ってみせる。
 藤代に言った言葉は正しく本心。本当に無自覚にそれを望んでいたのなら、それほど卑怯なことは無い。きっとそれは気付いていなかった頃の恋心の発露だ。
「いーえ。へへ。キャプテンに許してもらってほっとしました。それじゃ俺皆のほうに行きますね。キャプテンもどっかに行きたいみたいだし。
 それから、俺、気付いてなかったときのはキャプテンに責任は無いと思いますよ?だって三上先輩キャプテンに頼られるの凄い好きですもん。キャプテンてば、三上先輩にしか頼んないから!」
 ひょいと立ち上がった藤代は本当にすっきりとした顔をしている。
 ドアを抜けて、また戻って、藤代はにっかと笑った。
「また遊びに来ますんでv」
「ああ。いつでもおいで」
 自分は何も解決していないのに、藤代のその笑顔につられて渋沢も楽な気持ちで返した。
「だからキャプテンって大好きなんスよ」
 にへらっとしまりの無い顔が壁の向こうに消えた。
「三上…!」
 目を閉じて彼の名を呼ぶ。
 まだ、間に合うだろうか。
 つい先程の三上の顔を思い出す。どこか冷めていた眼を。だが、他に望む道はなく、それ以外を拒絶する心に従って渋沢も部屋を出て行った。










 カラン。と、氷の鳴る音。
「で、お前。教えてほしい勉強は?」
 手付かずのアイスコーヒーの中で氷の体積は随分と減っていた。
「嘘だとわかってるうえで付いて来ていて、言います?そういうコト」
 楽しげに言う笠井の顔を見て、三上は小さく舌打ちをした。勿論、態と。
「マナーが悪いですよ。三上先輩」
「それはシツレイ。出てってもいいぜ、俺は」
 鼻で笑って言う三上に笠井は溜息をついた。
「仕方が無いですね。古典頼めます?」
「いい性格じゃねぇか」
 半眼で応える相手に、にこりと返した。
「それは勿論。と、でも、古典はいいですよ。知りたいのは数学ですから」
 広げた問題集は高1で、武蔵森では中3の半ばから使うものだ。三上は見慣れた、ついでに暇つぶしにやり終わったそれを見て、少し驚いた。
「早いな」
「昨年の先輩に頂いたんです。一回失くしたときにもう一冊買ったそうなので。
 あ、そこです」
 笠井はぺらぺらと頁を捲っていた三上を止める。付箋付きの頁。
「あー」
 胸ポケットに仕舞っていた、細身のフレームレスの眼鏡を掛けて、三上は説明体勢に入る。笠井はおとなしくノートとペンを差し出し、拝聴と姿勢を正した。
 無駄の無い、それでいてわかりやすい説明の狭間、
「三上先輩、キスしてくれません?」
さらり、と。ここがわからないというような気安さで言った笠井の言葉に、三上は訝しむように眉を寄せた。
「俺、貴方のことが好きだと言ったでしょう?」
「付き合えねぇって言わなかったか?」
 だが、笠井のそれに三上も特に気にした風も無く応える。
「キャプテンが好きだからですか?」
「ああ」
「でも、先輩。逃げて逃げられての今なら、いいでしょう……?」
 囁くようにして顔を寄せる。
 三上は何を思っているのか、動きもせずに笠井の顔をひたりと見つめる。
 唇に互いの呼気が触れるほどに近づいて、笠井が眼に浮かべていた挑発するような光を消した。
「残念」
 座っていた位置に戻って、ふっと笑う。
「偽善のようですけどね。俺、三上先輩が幸せなのが嬉しいんですよね。煽っておいて良かったかな。きっと、あのひと、もう迷わない。
 三上先輩もあのひとが言えるようにも一度言ってあげてください」
「らしくも無く、損なことをやってるな」
 三上がぽつりと言う。その目線は僅かに下に向いているようで、笠井はその三上に苦笑を零した。でも、これも、確かに笠井が望んだことだ。
「本当に。貴方たちの所為ですよ」
 この言葉にも嘘は無いけれど。
 笠井がそう応えるのと被さるようにドアが音を立てた。
「三上…!」
 必死な色合いを宿した渋沢の目は三上ひとりに注がれて。
「キャプテン。次からはノック忘れちゃだめですよ?」
 笠井はその渋沢の様子に悪戯っ子のように目を煌めかせて笑う。
「どっかのバカ駄犬のようになっちゃいますから」
 強張りそうになった顔はその一言でいつものように優しい笑顔を浮かべた。
「ああ。そうだな。次からは気をつけるよ。
 ──────三上、ちょっといいか」
「へーへー。キャプテンサマ」
 緊張でか、かたい声に三上は態と巫山戯た口調で返して立ち上がる。
「それでわかるはずだから、しっかりやっとけよ」
 先に廊下に出た渋沢に続く前に一言かければ、
「後半はそのまま返しますね」
ただにっこりと笑う笠井の表情が閉まる途中に垣間見え、それが変わる前にドアは仕掛けの動きに従って閉じる。
 その直前に届いた彼の言葉が酷く優しくて、
「ほんとうに、あなたは………」
笠井は泣き笑いで返した。



 どうか、あなたたちが幸せでありますように。










 前を歩く自分よりも大きい渋沢を見て、三上は苦笑した。表面に出すことなく。
 一週間前に、あの選択肢を選ぶのにどれだけ悩んだものだっただろう。
 自分はそんな趣味じゃないとか、よりにもよってどうして自分よりもデカイ奴なのかとか。認めてしまった後だって言うつもりはまったく無かったのだ。先程の笠井同様、非常に愁傷にも友人でよかった。そのポジションで十分な信頼を得ていたのだし、言ったところで受け入れられるはずが無いのだから。だというのに。
 ぴたと止まった渋沢が戸惑ったように三上を振り返った。思えば、考えていた所為で笠井たちの部屋から渋沢たちの部屋まで黙って歩いていたのだ。ふたりして黙っていたのだが、渋沢にはその沈黙が不安を呼んだらしい。それでも、敢えて三上は何も言わずに自分たちの部屋のドアを開ける。
「入んねぇの?」
 自ら入るでもなく、ドアを押さえて先に進むように促す。渋沢は短く呼吸いきを吸ってドアを潜る。その背が酷く緊張しているようだった。
 試合ですらそんなことは無いというのに。
 ドアを閉める前に目を落とすと眼鏡と裸眼の差で色がずれた。
 苦笑する。
「どうした…?」
 急に笑いを漏らした三上に渋沢が振り向く。三上は珍しい苦笑顔のまま、嫌と答えを濁す。
(俺も緊張してたってわけだ)
 内心で呟きつつ、向けられた視線を交わしたままに眼鏡を外す。強引に与えられていた矯正が急に取られ、目は一瞬焦点を失う。視界せかいがぼやけた輪郭のみになり、すぐに姿を取り戻した。それは矯正時と然程に変わりは無い。そんなにも悪いわけではないのだ。
 ドアは既に閉まっており、外界から切り離されたこの部屋はさしずめ簡易異空間である。
 ひた、と視線を合わせたまま切り口が見つけられずに惑う渋沢の姿がとてもらしくて、三上は安心を感じていた。
 チャンスをあげてくださいね、といった笠井の言に従うように三上は自ら口火を切る。
「渋沢」
 抑えつけたわけではないが、抑えられた低めの声音に渋沢は小さく体を震わせた。
 その反応に期待する心とそれを留めようとする心が競う。
「好きだ」
 ゆっくりと唇が形作り、言葉という音を発する。後はただ、渋沢の返事を受け入れるだけだ。同じことを繰り返す気は流石になく、静かな眼で三上は渋沢を見た。
 それは一見無表情で。何かを諦観したような静けさであり、だが微かに他の感情は混ざっていた。いうなればそれは気遣い、だろう。笠井は大丈夫だというようなことを言っていたが、三上は本来ペシミストだ。そうでなくても渋沢には超え難い倫理観や道徳観念がある。それを強引に変えてしまうのは三上の本意ではなかった。
 そして三上はいつだって、幸せコトの数歩手前で足を止めて三上は己を守るのだ。
 だというのに、
「俺、も…す、き…だ」
渋沢は言う。
 俯きたいという抗いがたい誘惑に耐えて、途切れさせながらも小さな声を渋沢は返す。
 極度の緊張か、それとも伝える言葉故か、渋沢の顔は赤い。
 泣きそうな目で再度紡ぐ。
「俺も、お前が…三上が、好きだ…」
 鬩ぎ合い揺れていた心が完全に喜びに支配されて、三上は笑った。
「ああ…。俺も、お前が好きだよ、渋沢…」
 一歩一歩と進んで、たったそれだけで距離が無くなって、三上は渋沢を抱き締めた。
 おずおずと渋沢が三上の背に手を回す。抱き締める時に軽く引いたから体勢が辛いかもな、とも思う。腕に力を込めると、渋沢の体から力が抜けていって、息もゆっくりと吐き出された。


 相手の体温を感じて三上はひとつの終わりを知る。


 自分勝手なだけの感情はもう終わり。


 三上は耳元に寄せて何事か呟き、渋沢はその耳といわず、首まで赤く染まる。
「な、……な………!」
 なかなか意味のある言葉に出来ないでいるのに、
「そりゃ、ふたりだからな」
三上はもう一度言った。



 「愛してる」





              Fin
 はい。2パターンめだす。あー、笠井はもっと悪役の予定だった気がする。
 ふっつーに「貴方がいらないなら、俺が貰ってもいいですよね…?」みたいな。そんなことを言ってくれちゃう予定だったはずなんですけどね。もしくは渋好きさん。いえ、これはこれで納得してるんですが。
 しかし、長いですね、これ。後半だけで一本分の話がありますよ。ここまで読んでくれている人はいるのですかね?
 笠井は偽善のようだと言っていますが(言わせたのは私だ)、好きな人の幸せが時に自分のそれよりも嬉しいというのは当たり前のことではないでしょうか。





2004/01/03