対となる、ただひとりのきみ
双翼
強風吹き荒ぶ深夜。
空に、より近く、建物の屋上に立つ者たちがいた。舞い降りたひとり、静かに彼を待っていたひとり、息を切らして漸く追いかけられたひとり。
月は皓く彼らを、特にその守護についた者を包み込む。
屋上にいる者の一人、追いつけた服部が乱れた呼吸が落ち着く前に掴みかからんばかりの勢いで噛み付いた。己の腕に溺れた愚かな探偵は自分の力量の正しいところを理解しないまま、納得できないとばかりに吠える。
「せやからどういうこっちゃ、工藤!きっちり説明しろや!どないして俺の知らんことがあんねん。一緒に黒の組織潰した仲間と違うんかい!!」
そこまで言った服部に二人の顔が歪む。シルクハットとモノクルに隠しながら確実に機嫌の降下を示す一人と、あからさま過ぎるほどに眉を顰め、不機嫌と告げるもう一人。
全く別の属性を持っていると彼等を知るすべての人が言うだろうはずの彼等は同じ空気を纒っていた。
「そのような機密事項をこのような場所で大声で言うのは止めて頂きましょう。貴方は忘れたのですか?私たちが追い、その喉に牙を立て、息の根を止めた相手がどのような存在であったのかを。大元を倒してなお、私たちを執拗に追う残党の目を誤魔化し、こちらの情報が流れないように、と細心の注意を払い、隠していたというのに、貴方は工藤探偵を再び危機に陥れようと?彼が振った貴方の役割を貴方は十分に果たしました。それ以上のことを望むのは、貴方には、役者不足、というものですよ」
飼い犬は飼い犬らしく与えられた仕事をこなしたことに満足しろと。嘲りと紙一重の言葉を投げた。
一つ間違えれば命はない。
その状況を共に歩むには服部はいかにも迂闊過ぎた。新一が計画の核となる部分から外すのも当然であった。用心に用心を重ね、どんな些細な綻びも見逃さず、慎重にして大胆に行動ができる人物。一を示し、十以上のものを示し返せるだけの器量。危難を好機と変えられる力量。
新一が求めたのはそういう相手であり、これだけのことを全て可能とするのは世界広しとはいえ、ただ、一人。
一つ一つの所作に見惚れるほどの優雅さを以って、服部をどう見てるのかなどそんな内情は一切見せず、口端に笑みを上らせて詠うようにその魅惑的なテノールを紡いだ彼の怪盗、ただ、ひとり。
目に鮮やかな白き衣。犯罪者でありながら、それにありがちな堕ちた空気を纏うことはなく、毅然とした姿を見せ付ける。
怪盗本人にその意思はないものの、それは人が生まれながらにして持つ格の違いを表すようだった。彼の高潔さを表すようなその気配を知らしめた。
罪に身を堕した者と罪を暴く者。服部に軍配が上がるはずの立場でありながら、場の支配権は明らかに怪盗が握っていた。
服部は彼の言う正論でしかない言葉にぐっと詰まる。前から危険な奴等なのだとコナンから話を聞いていた服部がとっていい態度ではなかったのだ。
「その辺にしといてやれよ」
服部が不満をぶちまけたときから怪盗の背に守られるようにいた名探偵がこちらも聞き惚れるような声音を発した。
新一は怪盗の肩に手を置き、いい加減にこっちを見ろとばかりに指先に軽く力を入れる。それがさも当然であるとばかりに、振り返った怪盗は己の肩に置かれた新一の繊手を手に取り、口付けた。新一もその動作があって然るべきものだと言うように受けとめる。
服部が驚愕の眼差しで凝視していたが、彼らには本当に至極当然のことなのだ。怪盗の下に辿り着ける、同等の実力の持ち主に送る、敬意を評した彼の流儀。
驚いたままの服部を放って、新一は忠誠を誓う騎士の如き怪盗の顔を見る。
それこそが彼の真の顔であるというように纏っているポーカーフェイス。怪盗のそれが効かない初めての相手は怪盗の心のうちを知り尽くしていて、お前が言うことはわからないことはないけどな、と蒼き眼で彼に語りかける。
「敢えて俺がもう一度言う必要もないとは思うが、何故と問われたならこいつの言うとおりだ」
横に並び立つ怪盗の肩に手を這わせ、新一は鋭い探偵の眼を服部に向けた。
「お前は探偵を名乗りながら周りが見えていない。場所も状況も弁えずに何度“コナン”を“工藤”と呼んだ?もし、そのときに組織の連中がいたらお前はどう責任を取るつもりだった?」
冷ややかな新一の空気にたじろいでいた服部が挽回のチャンスと顔を輝かした。勿論、新一の放つ空気は変わっていない。寧ろ酷くなってしまったほどであった。なのに、服部はその変化にさえ気付かない。
「そんなん、勿論俺が工藤を守ったるわ。毛利のおっさんのトコなんか止めてうちに住んでもろて。おとんもおかんも話聞いたら間違いなく歓迎しとったで」
焦り、身振り手振りで熱弁を振るう。
怪盗はその様子を呆れたように、憐れむように見た。
「西の人、探偵を名乗るのを止めたら如何です?」
「なっ。犯罪者が何ぬかすんや!貴様なんぞムショに放り込んだるわ!!」
怪盗は特に感慨も受けず、肩を竦める。
「服部。俺も同感だ。お前に探偵を名乗る資格はねぇよ」
突き刺す言葉は氷のように冷たい。
「く、ど…?」
同感という言葉に喜んだのも束の間、服部の頭は新一の台詞に理解を拒んだ。
「貴方は本当にわかっていない」
怪盗は今度こそ憐れむ色を強めて、言った。
「名探偵が仰ったのは彼自身のことではありませんよ。貴方が出ればいいと言った彼が身を寄せていた毛利探偵、その御息女であり、幼馴染の毛利嬢。コナンと常に一緒にいた少年探偵団、コナンの親戚の立場であった阿笠博士、今は彼の養女となった女史。他にも工藤探偵並びにコナンに関わった人々の安全。工藤探偵が仰ったのはそのことに他ならない。名探偵の身の安全ばかりが気になっているようですが、私たちにとって欠かせない方である女史も名探偵同様狙われる立場であったことを覚えておられましたか?
それに貴方は御自身の親御さんのことくらい十分に理解すべきですね。貴方のお父上は詳しい事情を伝えられなかったときでも十二分な手助けをしてくださいました。お父上の懐の深さを見誤っていますね。
そもそも、名探偵が避難場所としての助けを欲するはずがないでしょう」
覚えの悪い子供に根気強く教える教師のように怪盗は諭す。
怪盗は肩に置かれた手を恭しく己の手におさめた。
「名探偵は」
まだ続く怪盗の言葉を新一は握られた手に力を入れることで一時止める。
「お前、いつまで他人行儀を通すつもりだよ」
目の前には一応探偵を名乗り、父親は自分たちが協力してもらった大阪府警察本部長という服部がいる状態での新一の発言に驚いたように目を瞠ったが、怪盗は柔らかく笑んで応えた。
「お望みのままに」
新一の怪盗の全てを許容したような発言に服部は再び驚愕していた。呆然と新一を凝視する服部の前で怪盗は指を鳴らし、己の方を向かせる。まだ話は終わってはいない。
ある程度服部が正気づいたところで口を開く。
「よろしいですか?私たちが貴方のお父上に助力願ったのはあくまでも彼が警察機構の歯車の一つであり、それが彼の仕事だからです。
お忘れですか?新一は子供を守る権利を持ち合わせている御父母からの協力さえ求めなかったのですよ。手を差し伸べられても己の所為であるから、と。
それに比べて貴方は」
冷涼たる雰囲気を纏っていただけだった怪盗が、自分という存在を抑えるリミッターを少し外した。すると、ぞっとする気配がその場を覆い支配する。
それは夏場であっても震えが止まらなくなるほどのもの。殺気とすら呼べそうなほどに射抜く力は強かった。
オブラートに包み込まれ隠されている怪盗の本性の一端。
「貴方は貴方の不注意に御家族を巻き込むことを前提としているのですか。見下げ果てた御覚悟だ。
それであれらと戦う気でいらしたという?」
金縛りにあったように服部の体は動かない。
たった一瞬向けられた視線、気配に喉は乾涸び、張り付く。呼吸が上手くできず、陸に上げられた魚のように無駄に口を閉口した。
怪盗のすべらかな絹の手袋の指先に新一は小さく唇を落とした。彼に声を掛け、自分をその眼に映させる。
怪盗の気配が一瞬で再び冷涼で柔らかなものに変わると、その変化によって怪盗の視線で閉じていた服部の汗腺が一斉に開き、汗が噴出した。
その様子を二人は寄り添うように見ていた。この近さにシルクハットもモノクルも顔を隠すものとしての機能はしない。
誰も知ることではなかったが、新一が予告状が出る度に怪盗の中継地点に行っていたときから、黒の組織との対決に当たって手を組むその前から、二人の間に素性を隠す必要もなくなっていた。けれどこのお互いがお互いを必要とする姿は第三者に彼らの関係を示唆する。勿論、それがわからない二人ではない。
だが、敢えて隠す気もなかった。こんな実力の伴わない、独り善がりの探偵気取りには。
見せ付けられたその姿に、理由もわからないまま頭を殴られたような衝撃に、怪盗のプレッシャーで呆然としていた服部がはっと気付いたように目を開く。
光を失っていた服部の目が力を取り戻すのを稀代の名探偵と大怪盗は黙って見ていた。こうなったうえでこの男が何を言うのかなど、考えるまでもない。
先程怪盗の逆鱗に触れたことを忘れ、彼の怒りの理由の在り処をも理解していないまま、愚かな男は言った。
「工藤、お前どないしてそいつを捕まえんのや!犯罪者やで!?もしかして、何ぞ人質でも取られとって逆らえんのか!?」
おめでたい。
あまりにも想像通りに言われ、失笑しそうになるのを隠すのに二人は苦労した。ポーカーフェイスを友にしてから日が浅いわけでもないのに服部の単細胞ぶりにそれを崩しそうになる。
さすが大阪人。
つい、他の大阪の人に失礼なそんなことさえも思う。
「俺は探偵だぜ?誰かを捕まえる権利も権限もなければ、こいつを警察になんかにやるつもりもねぇな」
人のものに手を出そうとなんてするなよ、と新一は皮肉げに口端を上げた。
怪盗は自分のものだと新一は笑う。
「そうですよ。私は既に新一自身に捕まっています。新一という牢獄に囚われているのです。今更警察の皆様に我が物顔で来られても困ります」
片手を繋いだまま怪盗は新一を抱き込むようにした。囚われていると言った本人の方が捕らえているかのように。
「な、何ゆうて…」
新一はくすりと笑った。
「そういえばお前面白いこと言ったよな、人質がどうだとか。それなら、俺自身だよ。こいつを捕まえている俺が同時にこいつに捕まっている。離す気も離される気もない」
新一はもう一方の手を怪盗の首に回してお互いを抱き合う。怪盗の顔を覗きこむように腕を首に絡めた。
「良いことをお教えしましょうか。共にいた私たちを見て女史はこう仰いました。
漸く一対に戻れたのね。おめでとう、と」
まだ何か言うことがあるのかと言葉にはせずとも無言で訊いてくる二人に何か言えることはなく、服部は力なく首を振った。
何かを見せ付けられた。
それは適うことのない絆かもしれないし、探偵としての確固たる姿かもしれない。
守る、ということ。助ける、ということ。支える、ということ。
共に生きていく、ということ。
強風吹き荒ぶ廃屋の屋上から去っていく後姿もその気配もがその廃屋から消えた頃、まるで一つの影のように寄り添っていた二人の一人が抱く腕に力を込めた。
「新一は大丈夫?あんな奴だけど、後ろはしっかりしてるし、こんなこと言ってくれて…。服部の親父さんはいい人だし、大丈夫だとも思うけど、下手をしたら秘匿に問われるよ」
「アレに俺を牢に放り込むだけの気になれればな。証拠も何もありはしねぇし、それこそ親父さんの方が何か手を打つだろ。それよりお前、その“くれて”って止めろよ。俺はしたいからするんだよ」
どこか捨てられた動物を思わせる表情。ポーカーフェイスのない怪盗。ではなく、快斗の唇にキスをして、モノクルを外してしまう。そして、もう一度キスを。
モノクルがなくなったのを合図にKIDを脱ぎ捨てた快斗を今度は新一がその腰に手を回して抱き締めた。
「んな顔するなって。あいつは俺に夢を見過ぎてる。俺だって一人のちっぽけな人間だぜ?大事な奴を守るためなら何でもやるさ。お前が嫌がらない範囲でしかないけれど。
快斗。お前がお前である限り、お前がお前であり続けられるように。お前が本懐を遂げるまで」
「うん」
ぎゅ、と幼子が抱きつくように新一に抱きつく快斗の猫っ毛を新一は優しく梳く。
新一は快斗が心の奥で罪を犯す自身が探偵の名を持つ新一の傍にいることに不安を抱いていることを知っていた。新一の思いが信じられないのではなく、快斗の存在が新一の邪魔になることを不安に思っていることを。
誰かを傷つけなくても、大衆から義賊といわれようとも、快斗が犯罪者であることには変わらない。彼が宝石を返すのは彼には要らないからで、善意ではないのだ。勿論、返す相手は持つべき人に返しているけれど、それは副産物的な結果でしかない。盗んだものがパンドラであるなら返したりはしないのだから。
快斗は自身の望みのために繰り返す。
だから、本来彼に義賊という名は当て嵌まらない。どうしたところで、どんな理由があったところで犯罪者に過ぎないことを全て承知で快斗は立ち向かったのだ。いざとなれば自分という存在を殺すことまで考えたうえで。
けれど、服部に言ったように新一に快斗を手放す気は一切なく、その為の楔を穿つ。
「お前が始めに俺に手を伸ばしたんだ。だから今度は俺がそうする。
言っただろう?俺は快斗を手放す気はないんだよ。『黒羽快斗』が生きることを諦めさせねぇし、お前を汚させもしねぇよ。
忘れるなよ。快斗が負ってる罪ごと俺のモノだからな」
最高の睦言を紡いでやれば、肩に顔を押し付けられた。
泣きそうな気配が漂う。
「新一の戦いを勝手に俺のにしたみたいに俺の戦いを新一のにしてくれるんだ?」
私怨でしかない自分のことに決して新一を巻き込みたくはないというのが快斗の本音だ。
それでも。
そっと、ちょっとだけ顔を上げた快斗がはにかむように小さく微笑う。本当に嬉しそうに笑うのだ。
「バーロ。当然だろ?快斗の夢が叶うのを誰よりも近くで見る。それが俺の今の夢なんだからな?
勿論、必ず叶える夢。…違うか、必ず叶う夢だ」
不敵な笑みを刷いて、そうならないはずがないと言ってのけた新一に快斗が「新一らしい」と苦笑すれば、「俺らしいって何だよ」と新一は些か不本意そうにして見せた。そのアピールの一環として、新一は快斗を更に抱き寄せる。
引き締まった体躯の全体的に華奢な快斗の体は若い竹のようにしなやかにその背を反らした。新一のきつく抱き締めてくる力に呼応して、快斗は新一の首に腕を回し直した。
「俺も新一にいちばん近いところで見ててほしいな。パンドラから先の未来は特に。
あ、でもだよ?危ないことは新一はするなよ?新一って危機に対する勘がどうも甘くて心配だし。これからはちゃんと新一からの情報も受け取るからさ」
と、思えば体を離し、顔を覗き込むようにして釘を刺す快斗の腰に片手を残して、もう片方の手で新一は快斗の髪を梳いた。
「ま、善処はするさ」
髪に幾つもキスをして、今度は髪を梳き上げ額にキスをし、瞼や目尻にもキスを落とした。軽く触れ合わすだけのキスをして、ついでに快斗がもう一回と強請り、最後に快斗からもキスをした。
ベッドでは酷く恥らうわりに、触れるだけのキスは自分からも仕掛けたり強請ったりもする新一の可愛くて堪らない恋人は言った。
「さ。帰ろうよ」
Fin
快斗とKIDでこんなに性格が変わってていいのかなぁと悩みますね。私は、快斗のKID演技派なので快斗が使い分けてるんだ、というのを押しております。少しは地なんだろうけど。天然タラシ系。新一もか。
しかし、はじめのうちはどう見てもK新って感じだ。でも、間違いなく新快。表記はSK。
題名は女史が言った(らしい)台詞から。別に「対翼」でも問題ないじゃんとか思っては駄目です。私の諸事情的に駄目なので。(無茶苦茶私事)
服部を思い切り虚仮にできたのが楽しかったです。(←ヒドッ)快斗は褒めちぎったし。
長いですね。ルーズリーフ(5m×43lines)丸2枚と半頁です。これの元が3700字くらいだとは誰も思うまい。(ついでにこれはその倍くらい)通学中よほど暇だったんだな、私。片道2時間あるしなぁ。
えー。お粗末さまでした。
2003/08/15