貴方と在った刻はなによりもの宝物でした。






抜けるようなソラの下で



































愛しいひかりが消えてしまえば ひと は 矢張り狂うのだと知った。
自分もまた その ひと でしかないのだと。








































 白い煙が蒼く澄んだ空に吸い込まれていく。
 そのひとの笑顔を思い出させる晴れた空に新一は目を細めた。彼の最愛のひとは今、煙となり風にとけ空に還るのだろう。
 自由そらを翔る鳥。
 白い翼を力強く羽ばたかせる新一のとり。
 上を向き、煙を追うふりをして耐えていた涙はついに彼の頬を濡らして流れ去った。
「………かいと───────」































 新一がKIDの、いや快斗の帰りの遅さを訝しみ発信機で居場所を突き止め、到着したそのとき、狂行は完成間際だった。





 五体のうちの二つ───片足・片腕の感覚を失い、毒に蝕まれた体は横たわりながらも不屈の精神を失ってはいなかった。だが、同時に己の命が終えるしかないことも彼は自覚していた。
 負けない心の強さと死のない肉体は決して連立するものではなく、人である以上致死量に達する毒を呑まされた時点でその死は決まっている。
 今、快斗が息をしているのは普段の努力や行いが良い故の奇跡ではなく、彼が敵対していた組織の人間に快斗から有力な情報を引き出そうと遅効性の毒を呑まされたからに過ぎない。結局、自白剤まで用いたにも拘らず何一つ言わなかった彼を放っておいたのも死が確実であるとわかっていたからだ。せめて死の恐怖に怯えながら逝けということだ。
 夜に目立つ白の衣装。止血しても流れる血と倉庫の汚れで大分その色は失われていたが、白い上下、青のシャツ、赤いネクタイに止めのように白のローファ。おまけに今日は予告日で。だからこそのこの衣装であるが、これではタクシーを捕まえようにも目的地ではなく警察に連れられることは必須だ。シルクハットは立ち回りの最中に失くしたが、短眼鏡はまだ彼の顔についていた。宝石は持っていかれ、トランプ銃も取られ壊されたが、警察に行けば捕まえられること請け合いの道具一式は持っている。たとえそれが無くても捕まえられそうではあるが。
 万事休す、なのだ。
失血の所為か、毒か。その判断はつかなかったが、荒い呼吸は確かに死が大口を開けて待っていることを示していた。

 ちゃんと帰ると約束したのに。

 つい、頭を過ぎったのはそんなことだった。パンドラや父の敵。残され、犯罪者の母と糾弾される母親への罪悪と申し訳なさ。それよりも共に暮らす愛しいひとのことが頭を占めた。
 出かける前に口に出さねど心配する新一にちゃんと帰ってくるからと言った。珍しくも新一が「馬鹿」ではなく待っていると返したのに。
 待たせている。
 そして悲しませている。
 このあとも、たぶん、哀しませる。
 そう思うと喉が痛くなった。涙が零れる前兆かと思えたそれは紅い涙を吐き出させる。顔を汚い床に擦りつけるようにして二度三度と咳き込めば、それに呼応して血を吐いた。ヒューヒューと喉は鳴り、涙は自然と流れていた。
 死はKIDを継いだときに恐くはなくなった。だが今は、失うことが恐かった。辛かった。

 きっと新一を哀しませる。

 快斗は、またそう思った。
 死よりも辛く、痛く、それが恐かった。
「快斗ッ」
 分厚い扉を開ける音にさえ気が付けないほど、死に抱かれていた快斗の耳を打ったのは、新一の快斗を呼ぶ声だった。
「…し……ち…」
 応えるように名前を呼ぼうにも、快斗の喉はもうそれが出来ぬほどに焼き爛れていた。
 焦点も合わなくなった眼で新一を映そうとする快斗を抱き上げ、新一は唇を噛み締める。切れたのか、血の味の独特の錆びた感じが広がったが、本人にそれに気付く余裕はなかった。
 快斗を抱き上げ、車に走る。待ち構えていた車は新一たちを乗せるとすぐに走り出した。
「自信なんてないわよ」
 あまやかなアルトは硬質の声を放つ。
「なんと言うの?」
 さっさとKIDの衣装を脱がせ、術用の物を着せる新一に志保は車内で出来るだけの処置を施しながら問う。新一に目を向ける暇は志保にはない。既に手遅れであるという可能性に蓋をして胃の洗浄をする。多少乱れながらもジャケットまで着ていた以上毒は注射で入れられたのではないと思ったからだ。
 揺れる車内で縫合は出来ない。快斗自身が施した止血をはずし、気休めだという想いも封じ込めて消毒する。開封したばかりのガーゼを幾つも重ねてきつく包帯を巻き、止血しなおした。
 目下、第二の心配である失血死を喰い止める為にする輸血。紫に近い色に変じている唇を見つつ、いっそのこと快斗の体に今流れている血の全てを抜き取り、取り替えたいという思いに志保は捕らわれた。医学を修めた身で随分と愚かなことだと思うが、そう思うほどに彼の状態は逼迫していた。彼に使われた毒の正体も体内に入れられた経緯も何もわからないことが更に志保を追い詰める。
 快斗の状態の悪さが毒によるものだと素人目にもわかってしまうだろう。酸素吸入器をつけても下がっていく数値に、その姿にもう出来ることはない。少なくとも今はない。
 電話をしていた新一が志保の方を向き直り漸く口を開いた。
「快斗がKIDだと知られるわけにはいかない。こいつを獄中にはやらない。でも、解毒も何も時間との戦いなのも確かだ。うちも博士のとこも今回ばかりは無理だ。警察の世話にならずには要られない」
 わかりきった事実から淡々と述べる新一を志保は急かさなかった。新一自身落ち着こうと必死なのだ。警察病院に車は始から進路をとっていた。車に飛び込むなり新一が叫んだ「毒だ」という声に志保が阿笠博士にそう言ったからだ。





 組織を壊滅させる際に志保は自ら警察に赴き事件の顛末を知る限り語った。警察を関わらせずに潰すのはどう考えても不可能だったのだ。
 その組織で毒薬APX49468を生み出してしまったこと。その毒で多くの要人が死に、未完成の副作用の産物として死なずに幼児化現象を起こすことがあること。自分もまたその特殊なサンプルであり、年齢と姿がそのために一致しないのだということ。説明には自分こそが要るだろうと共に来た新一────江戸川コナンもその結果であり、彼こそが一番初めに幼児化した“毒”の失敗作の服用者だということ。解毒剤が完成し、持ってきたのだということ。全て、包み隠さずに。
 当然だがそんな荒唐無稽なことを目暮警部を含む警察の面々は初め信じなかった。だが、小学1年の子どもにしてはあまりにも理路整然とした話しぶりに、そして新一のために作られた発明品、隠しようのない“彼”という存在にその話を信じる声が高くなった。勿論その筆頭はコナンと現場を共にした捜査一課と一部の鑑識の人間である。
 そしてコナン、いや、新一たちは言ったのだ。自分たちはこれからその解毒剤を服用し、元の姿の工藤新一と宮野志保に戻ると。
 警察がこの話を簡単に鵜呑みに出来ないのは当然のことであり、信じてもらう為にもその保護下で行うこと。それに上層部は色めき立った。この話が事実ならまさに彼らは素晴らしいサンプルである。だが、これには当然のこと条件がついた。幼児化していた今までやこれからの検査の結果を必要であるならば警察に受け渡すのに異論はないが望むままの検査は受けないということだ。理由は単純にして明快。新一たちはモルモットではない。自我を持つ人間としての当然の主張であり、わざわざ注釈として述べることではない。上層部たちは諾、と答えざるおえなかった。
 言葉どおり少女と少年はその姿を変えた。本人たち及び新一の両親など、とにかく彼等の本来を知る面々の意見によってその戻る様子も映像記録に残されることはなかった。
 けれど、元に戻ったからといって万事が全部と上手くいったわけではない。新一・志保両名は文書偽造を筆頭に諸犯罪のオンパレード。だがそれは自分の周囲を巻き込まないための致し方ない処置と認められ、お咎めなしと相成った。そもそもが架空の存在。共に生きていた少年少女たちにとっては間違いなく現実の存在ではあったから記憶の彼ら思い出の彼らは生きているけれど、そんな彼らを消す法的な手間───転校はあっという間に終わらせた。これによって眼鏡の似合う小生意気な少年も、年に似合わず妙に大人びた少女もこの世から消え去ったのだった。
 そして、志保が組織にいたときの罪も外に出られる立場に無かったこともあって、事実上の罪とはならなかった。だが毒すらも、そしてそれを治す為の更なる劇薬をもつくる頭脳ということもあって警察内部の医科学の場で働くことでの無罪放免だった。建前はその組織を壊滅させてもまた別の組織に狙われる可能性への対処だったが、要は警察こそがその能力を手に入れたかっただけの話である。反発が起こりそうなこの条件は志保が文句も言わずに受けたことで問題なく終わった。





 今新一たちが快斗を連れて行こうとしているのはその志保の勤め先だった。
「縫合と解毒を同時に進行させるには他に道がない。薬を作るのは志保に任せられる。これが一番好いはずなんだ」
 この一言で口を噤んだ新一は病院がもう近いのを風景から判じた。
「けれど、なんていうの?貴方がしたさっきの電話には現状の説明と担当医の指名だけだったでしょう。こうなるに至った経緯をなんて誤魔化すつもり?」
 新一は変わらず快斗の手を握り締めて言う。
「俺に、間違えられたと言えばいい。幸いこいつが俺と間違えられた所為で警察の世話になったこともある。これで誤魔化せるはずだ」
 志保は快斗の顔を見つめたまま無駄なことは一切捨てて問う。
「服は?」
「上着とネクタイはなかったことにする。靴は変える。青のシャツと白いズボンならそう疑問視されねぇはずだ。マジシャンの卵だってのも有名だしな。今日は本当にちょっとしたショーをやってたし。
 家に帰っても着替えないでジャケット脱いだだけの姿でいたが、買う物があったことを思い出してその姿のまま出て行く。ところが帰りが遅いのを心配して探して見つけた。理由はさっき言ったとおり、俺に間違えられて怪我を負ったことがあるから。携帯のGPS機能で見つけ出し、今に至る。
 これでいいな?」
 黙って聞いていた志保は一つ頷いた。
「それでいいわ」
 車は搬入口に滑り込んだ。





 着いてしまえば快斗の治療のために新一に出来ることはもう何もなかった。新一に出来るのはさっき言ったことを真実に摩り替えてしまうための工作ぐらいだ。
 ジャケットもネクタイも短眼鏡も、使うことがなければいいと思いつつこんなときの為に目立たないようにつくったボックスに仕舞い込み、代わりの靴を後部に置いた。後は事情を聞きに来る馴染みの警部に如何にもそれが実際にあったことだと思えるように導くだけだ。
 そう。もう出来ることはない。
 あとは、只管、祈るだけだ。
 神も霊の存在も信じてはいないけれど、今なら心の底から彼らに祈る。必要だというのなら、新一は命以外のものならば神にでも魔にでも何でも捧げよう。快斗と共に生きたいのだから、命だけはあげられないけれど。














































ああ、どうか。
快斗を俺に返してください。
快斗を俺から奪わないでください。
どうか。














































 けれど。


 矢張り普段不信心な人間の祈りは半分しか聞き届けられないらしい。




 快斗は確かに助かった。志保は随分と無理をしてくれたのだろう。
 彼は黄泉からは還ってきた。
 その声を失って。それでもいいと新一は思ったのだ。声を失おうとも彼の太陽な笑顔があれば十分ではないか、と。快斗に命さえあるのならば最早何も望むまい。
 そう思う新一に志保は目を伏せ、視線を逸らした。
 眠っていてもとにかく快斗に会いたいという新一を病室に入れてやり、彼がその手を握り、そのぬくもりに安堵している間、志保は辛そうに新一の背を見ていた。
 目覚めるまで側についていたそうな新一にどうせ後数時間経たなければ目は覚めようがないといって、志保の研究室まで連れてくる。とはいっても、志保の活躍の場が医療である為彼女の部屋は病室の近くにある。快斗が眠っている部屋からはそれこそゆっくり歩いても一分もいらない距離だ。
 志保自身落ち着くためにコーヒーを二つ淹れ、その一つを新一に渡してやりゆっくりと口に含む。独特の苦味と芳香が口腔に広がったが、疲労の所為でもなく、よくわからなかった。
 彼女が纏うあまりに重い雰囲気に先程まで安堵に包まれていた新一の心がじわり、と不安に蝕まれる。
「落ち着いてよく聴いて頂戴」
 お約束の言葉。
 聴きたくなどないのに志保の声は新一に耳を塞がせはしなかった。
「黒羽くんは、今は助かったわ。解毒も上手くいった。でも、遅すぎたの。一度彼の体の奥深くまで侵したのは除きようがなかった。もう、長くはもたない」
 冷静な医師としての言葉。志保とて快斗の友人である。新一と快斗が今の関係になる前、親友、友人となる前から志保はずっと友人だった。影に日向に快斗をやさしく見守る友人だった。姉のような友人だったのだ。
 辛くないはずはない。だが、彼女は今医者である。冷静さを欠くわけにはいかなかった。そして新一の探偵としての性が同じように事実を冷静に判断しようとしていた。
「……どんな症状なんだ」
「脳の大半がやられているの。同じスタッフはまだはっきりとはしていないと言っていたけど、私から見て十中八九間違いないわ。黒羽くん、たぶんもう、記憶が出来なくなっている。海馬は極一部を除いて駄目になっていた。あとは、忘れていくしかないわ」
 唇は戦慄き、開きかけた口は声を発する前に一度閉じられた。マグを机に置いて新一は聞いたばかりのそれを拒絶するように手で顔を覆った。
 わかっているのだ。今、新一がこうして逃げる道を選んでも意味がないことに。それどころか快斗の中で“生きている”ものたちの“死”を早めるだけだと。外部からの接触がなくなればきっと、その記憶も知識も“死んでいく”のだ。
「あいつのお袋さんに連絡しねぇと…」
 味も何もしない琥珀色の液体を胃に流し込む。認識は出来なくてもカフェインだけはあるはずだから眠気とは離れられる。
「ええ。あとは“事実”を受け止められるお友達にも」
 浮かぶ顔はたったの二つ。快斗の友人は数多くいるけれど全てをひっくるめた“事実”はこの二人にしか受け入れられまい。
「白馬と小泉か」
「そうね」
 座るというほど深くはなく、軽く寄り掛かっていた机から離れ、ドアに向かう志保を新一は呼び止める。
「何処に行くんだ?」
「上司と担当者のところよ」
 志保は顔だけを新一の方に向けて立ち止まった。彼女の表情の読めない横顔だけが新一から見える。ドアノブに手を掛けていない方の手は無造作に白衣のポケットに突っ込まれていたが、その隠された手が強く握り締められているだろうことは容易に想像がついた。
 目線だけで疑問を表す新一に志保はドアノブを回しながら答えた。
「長期に亘る休暇願いと退院手続きをしてくるわ。
 どうせここに居させる気なんてありはしないのでしょう?」
 ドアが閉まる音の隙間から届く志保の声に新一は見えないと知って苦い顔をする。あまりにも簡単に自分の思考を読まれているという事実に。もしかしたら、ある意味自分よりも過保護な彼女も同じことを考えているだけなのかもしれないが。
「…電話、してこねぇとなぁ……」
 誰に聞かせるでもなく自分に向けた言葉に促されるようにして新一もまた部屋を後にする。携帯が使えるエリアまではまだ歩かなければならない。
 誰も居なくなった部屋の中、昇った太陽の陽が差し込む。琥珀色の水面には蛍光灯の白々とした光が写っていた。





 志保の言葉どおり、その日の昼を回った頃に快斗は目を覚ました。
 不安に揺れた快斗の目が新一を映して安堵したのを確かめると彼らの行動は早かった。快斗が目覚めた僅か数時間後には工藤邸の快斗の自室にて彼自身を見つけることができる。
 けれどこの一連の動きだけではなく、快斗が目覚める数時間前の快斗を中心としたこのことは本当に早かったのだ。何せ新一が3人に電話を終え、つい快斗の病室に行ってしまったとき、新一の無意識ともいえる行動を予測していたのだろう志保は紙切れを持って当然のように来た。
「こちらの願いは全て受理されるわ。その退院手続書に必要事項を書いて頂戴」
 30分にも満たない時間でどんな方法で上層部に諾と言わせたのかは謎のままにして、紙とボールペンを渡され書き進めた新一の手が一瞬止まる。僅かな逡巡を見せ何事もなかったように書き終える。新一がボールペンと置いたことで書き終わったことを知った志保が何か口にする前にドアが小さな音を立てて開いた。
 入ってきたのは快斗の母親の百合子だ。おそらく、白馬も紅子も快斗が新一の家の移るまでは来ないだろうと思っていた二人には予想どおりの人だ。
 新一は百合子からは前以って了承を貰わなければならない。
「百合子さん。快斗が起きたら…」
 けれど新一は言いよどむ。快斗の状態は電話で既に伝えてあった。だから彼女は息子の様態を、快斗が長くはもたないことを知っているのだ。10年以上前に夫を亡くした彼女に快斗を自分の家に連れて帰りたいとは新一には言い出せなかった。
 先が決まってしまった以上、せめてその間は一緒に居たいという思いがある。だが、同時に躊躇いがある。快斗が生きている僅かな時間を百合子から奪ってしまって良いのかという躊躇いが。
「新一くん」
 大切な人を一度、何よりも惨酷な形で失わされた彼女は言う。
「快斗を幸せにして頂戴ね。一緒に居てあげて」
 母という存在は子どもの為に強くなる。
 お願いね、と頭を下げる百合子に、はいと返して新一も深々と頭を下げた。





 穏やかといえば穏やかな日々。
 新一は授業があれば大学へ行くがなければ家で寛いでいるし、志保は緊急時に備えて工藤邸の一室で研究しているが未だその時は来ず、とうの快斗自身は話せはしないもののそれまでとなんら変わらず楽しそうにしていた。勿論、骨折している為マジックや家事をしてはいないが治療さえ終われば当番は志保から快斗に戻るだろう。因みに新一の料理の腕は破壊級である。地獄を見ること請け合いだ。よって彼はコーヒーを淹れるとき以外滅多に台所には行かない。
 あとは紅子や白馬が立ち寄っては歓談し、あるいは快斗を揶揄って帰っていく。時には食事を共にしながら。
 唯一変わってしまったのは新一が事件に赴かなくなったことだ。警察から助けを求められても現場には行かずに電話だけで済ます。勿論、快斗と一緒にいる時間を守る為に。そのことに快斗と新一の仲を知る他者が文句を言うはずはなく、警察関係者とて容認している────そもそも新一は一学生なのだ。親しい警察関係者にして二人の仲の良さを知る目暮警部たちの努力もあって彼らはどんなときよりも一緒にいた。

 けれど、終わりが見えているからこその蜜月になど、喜ぶに喜べるはずがなかった。














































 そして、そんな日々は唐突に終焉を迎える。














































 容態は一時を境に激変した。
 それはなんでもないよく晴れた日で、午後には庭でティーパーティでもしようかと思うような気候だった。
「工藤くん!」
 切羽詰った声で呼ばれて新一は階段を駆け上がる。志保がそんな声で新一を呼ぶ理由なんて一つしかなく、ドアを開け放った部屋の中には一切の反応を失った快斗が横になっていた。
 名前を呼んでも反応はなく、規則的な電子音と温かな体温だけがそうと知らせる。

 快斗がまだ生きていると。














































 空はずっと晴れていた。
 何処までも広がる青空だった。
 ただの一度も曇ることはなく、新一の眼のように澄んだ蒼だった。
 快斗は窓から空だけを、そのあおだけを見ていた。














































 それから数日過ぎた青空の日に。
 心配し通しだった者たちを知らぬげに、快斗はゆうるりと目を開けた。
 まるでなんでもないように。
 自分の手を握っている新一に向かって快斗は笑顔を見せた。

「しんいち、ありがとう」
 出ないはずの声は矢張り紡がれることはなく。
 音はないままにその声は確かに紡がれた。
 その唇が紡いだ言葉はしっかりと新一のなかに沁み込んでいく。
 快斗はおだやかな笑顔を湛えたまま、ゆっくりと瞼を閉じていく。
 返す言葉が出てこずに、新一は只管握る力を強くした。
 けれど快斗の手は握られた形のまま。

 新一 の 手 が 握り返さ れる こと は なかっ た。














































 快斗の葬儀の何もかもが終わっても、新一は屋敷から出ようとはしなかった。暫く経った後の警察からの要請も極力電話対応だけで済ました。
 そうやって家に閉じこもって何をしているのかと思えば新一は一日中パソコンの前に座り続けている。何をしているのかわかってはいても、あまりにも家に閉じこもっているのに復職した志保が見かねて渡されていた合鍵で入った。入り口に立っても振り返りもしない新一にただ一言投げた。
「体を壊すような愚だけは犯さないでちょうだい」
「心得てるさ」
 漸く振り返った新一の顔を一瞥して志保は預けていた背を起こす。
「独りでやろうとしたら酷いわよ」
「巻き込めって?」
 志保は目を眇めて冷笑する。
「当たり前でしょ。貴方は彼ではないのだから」
 新一は一瞬嫌そうに顔を顰めて見せたが諦めたように肩を竦めた。
 新一はもともと白馬や紅子は巻き込む気でいた。志保は安全な位置にいてほしいと罪を罪と知る志保をよく知っている快斗だからこそ願うだろうと彼女だけは巻き込むまいと思っていたけれど、本人が巻き込めという以上新一はそうするに吝かではなかった。
「それにね、工藤くん。私たちは、望むでしょう。黒羽くんが望まなかった復讐さえも」
 快斗が欲したのは父親の真実。そして、父ができなかったことを行う。ただそれだけだ。その過程で罪を増やそうとも快斗はどんな人でも人が死ぬことを善しとしなかった。勿論、快斗と関わり快斗の罪の欠片を持たせてしまうことも。
 志保は快斗のまっすぐな姿を思い出し目元をやわらげる。
「彼がいなくなって、私もさまざまと思い出したわ。矢張り冷たい血が流れていたのだと。
 それに、私も ひと だった、ということを」
 狂気に沈むひとであったということに。
 志保はひっそりと笑みを浮かべた。
「暗くなったら灯りを点けることくらいしなさい」
 薄暗かった部屋が急に眩しくなり、新一は手を翳し、目を眇めた。
 やわらかな灯りさえ、染み入るように痛かった。





 更に数日が過ぎた夕刻。朱に輝く陽がその部屋に差し込む。
「見つけた…!」
 黄昏刻。逢魔ヶ刻。辻に魔が往くその刻に新一は遂にそれを見つける。
 人の眼に姿を現さなかった凶き女を。
「漸くなのね」
 突如と聞こえた声はもう聞き慣れたモノで、新一は落ち着いたまま一つの資料を差し出した。今の今まで探して探して漸く見つけ出した元凶を示すそれ。敵対組織は既に快斗が中りをつけていた為、そっちは志保と白馬に任せた。
 これで漸くカードが揃う。
「これはあんたに頼めるだろう」
 それを受け取り紅子は嫣然と笑んだ。
「勿論。魔女の私に出来ないことはないわ。唯一、私の自由にならなかったのは彼だけ」
 そして紅子は少し淋しげに表情を変えた。
「彼に私は何かをしてあげられなかった。望まない彼にはすることが出来なかった。だから、彼が愛した貴方の為に魔女の力を貸して差し上げる。彼の願いを助ける手助けを」
 半透明になりながら紅子は静かに言った。
「ごきげんよう、『光の魔人』。白き罪人が愛したその慧眼が曇らないことを祈るわ」
─────仮令 その身 罪に塗れ、血が滴ろうとも。
 その意味深な言葉に新一はわかりきっているかのように何も言わなかった。





 「懐かしい眼をしてるわ」
 突然訪ねた新一に紅茶を出しながら言う百合子に新一は伏せがちだったその目を上げる。彼女の目は慈愛に満ちていた。
 不意に新一は悟る。
「気付いているんですね」
 百合子はにこりと笑って紅茶に口をつけた。快斗のルーツが窺えるロイヤルミルクティ。
「あの子の初仕事の後と同じような眼をしてるわ、新一くん。決めてしまった眼ね?」
 その言葉を受けて新一は張り詰めていた気配を緩めた。紅茶のカップを口許に運んで、ああやっぱり、と思わずにはいられない。
 カップをソーサーに戻し、新一は言葉を探すように言いあぐねる。けれど、言うべきことは始めから決めていた。これからやることを変える気もない。
「許しを貰いに来たんです」
「新一くんなら、新一くんのやり方で出来るんじゃない?」
 彼女の言葉に新一は肯く。
「はい。組織の壊滅は工藤新一の仕事です。でも、パンドラを砕くのはKIDの悲願ですから」
 真っ直ぐに新一は百合子を見る。彼女は少し困ったように笑った。
「あの人もあの子も、私には何も言わなかったのよ?だから、私に断ることなんてないわ」
そう言った彼女に新一は小さく頷いた。
 彼女には何も言わなかったことが彼らの思いやりだった。それをわかっていた彼女もまた、知らぬふりをしていた。それを思えば、新一がこうして了承を得るのは彼らに対して申し訳ないような気もするが、黙ったままでは許されないのだ。
 用件が済んでしまうと言葉が出ない。故人を語るには未だ日が足らず、傷はじくじくと疼く。だからといって当たり障りのない会話をする気分になれるはずもなく、二人は黙ったままゆっくりと紅茶を口に運ぶ。それに不快や居た堪れなさはなく、新一は快斗が育った空気を全身で感じていた。
 一杯の紅茶が飲み終わり、新一は静かに席を立った。玄関まで見送りに来た百合子に改めて頭を下げる。
「お邪魔しました」
「いいえ、来てくれて嬉しかったわ。また来てちょうだいね」
 新一は、はいと返す。必ず帰ると。
「新一くん」
 ドアに手を掛けたところでさっきまでとは僅かに変わった調子で呼ばれる。
「あの子を、幸せにしてくれて、ありがとう」
「いえ。幸せにしてもらってたのは俺のほうです。ありがとうだって俺があいつに言う言葉だったのに。最期まであの馬鹿」
 下唇を噛んで俯く。思い出すのは「ありがとう」と象った透明な快斗の笑顔。
「あの子が?」
 微かに震える百合子の声。
「はい。快斗が、直前に。勿論、声は出なかったんですけど。俺の名前を呼んで、ありがとうって。それで、もう」
 何も返りはしなかった。
 力が足らず無力な自分の、爪が肉に食い込むほどに強く、新一は手を握り込んだ。
「新一くん。それなら、やっぱり私は貴方にお礼を言うわ。
 あの子を掬い上げてくれて、あの子を愛してくれて、
 ありがとう」














































 満月の夜。
 廃屋の屋上で白が翻る。
「タイミング。ミスるなよ、白馬?」
「大丈夫ですよ。警察の方は任せてください」
「貴方の方こそ下手な欲を出さないで」
「彼の望みだけを叶えてちょうだい」
「わぁってるって。俺だって快斗の望み以上をこの姿でする気はねぇよ。俺は俺らの武器でやるさ」
 とん、と。柵の上に立ってみせる。
「特訓の甲斐がございました」
 白髪の老人が言う。
「行ってらっしゃいませ、工藤様。いえ、3代目怪盗KID様」
 その声を受けて足が柵を蹴り体が宙を舞う。風を孕んで踊るマントは翼へと一瞬で変わった。

「さぁ、ショーの始まりだぜ!!」





               Fin














































世間に迎合されなくても僕たちはこれを望んだ。





      あとがき
 詰め込みすぎ…。
 こんなにも長くなる予定じゃなかったので纏まりがないです。分けようかとも考えましたがそのまま。
 実はこの話でやりたかったのは快斗の死と新一の3代目襲名だけだったり。繋ぎがおかしくてエピソード(快斗の怪我が週刊誌にすっぱ抜かれる)が入らなかったり。
書けば書くほど新快に見えなかったと白状しておきます。書き始めから見えませんけど。でも、きっと、KIDをやってるときの快斗はとてもかっこいいんだと思うです。
 それでですね、じゃあどの辺が新快なのかと申しますと快斗が可愛がられているあたりが。でも、快新でも快斗は可愛がられてるんですよね、女史に。ついでに快斗を大切にする紅子も大好きです。だからうちの紅子は快斗に甘い。
         改稿04/0322  05/02/19



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