盟約
夜には明るく、昼には暗い黄昏。寂れた公園で長くなってきた影を見やりながら、紅子は子どもの小さなジャングルジムのてっぺんに座る快斗に囁くように返事をした。
「そうね。
希望と呪いの果てぬ夢を詠われる、愚かな女の名を与えられた曰くを孕んだ凶き紅の石、パンドラ。確かに私の力を以てすれば、見つけだすのは出来ないことではなかった。
でも、それを。あなたは望みはしなかったでしょう?黒羽くん。たとえ、あなたに残された命が僅かだったとしても、あなたは私に其れを望みはしなかった。違うかしら」
「違わない、な。俺が見つけ、俺が砕く。そうでなければ、意味がない」
KIDを継いだ意味がないのだと、快斗の深い彩の眼差しが言う。建物に邪魔をされて見えない遥か彼方の空の変わり目に眼を向けたままの快斗のその言葉までを聞けたのは、紅子が快斗の眼を臨めるまで上り、近づいたからだ。
「だから私は何も手伝わなかった。いえ、手伝えなかった。私に出来たのはいくつかの予言をあなたに授けることだけ。それだとてあなたの決意の前にはわかっても役立てられないことばかり」
快斗に近づいたことで錆びて鉄の臭いを纏わせた手を快斗の顔に差し伸ばすことは躊躇われ、伸ばしかけた手を胸元で握り込む。
月を仰ぎ見るようだ。
「そうでもないさ。おかげでその時は心構えが出来ていた。いくら俺でも、お前の助言なしじゃ大怪我をしていたかもしれない。死にかけたこともあっただろう。あんまり認めたくはないが、お前が俺の忠告を振り切らなければ、傷を負った俺が逃げ切れたかも怪しいときもあった。病院に行けない俺の手当をして匿って、俺のことを何時だって気に掛け、思っていてくれただろう」
それは十分な助けであったのだと彼は言う。それは真実であり、そうではない。たとえ、紅子の助言がなくても切り抜けられる快斗だと紅子自身知っているし、快斗だとてそうであろう己を知っている。
「あなたは、やさしいのね。あなた以外の人に対しては。とても」
かなしく、紅子は微笑む。触れればたやすく散ってしまう花のように。
「紅子」
「そのやさしさを、ほんの少しでいいからあなた自身に向けてくれたら、と思うことさえ厭うのでしょうね」
「……悪い」
他に言う言葉がなく、求められているのは謝罪ではないと知りながら、快斗は沈黙の末に絞り出した。彼女から与えられるものはもっとやさしいというのに。自分が紅子に返せるのは少しばかり彼女を傷つける。
「謝らないでと言ってあるはずよ、黒羽くん。あなたが謝るべきはないのだから。それに気にすることはないわ。その分、私はあなたのことしか考えない。私はあなたが望みを果たし、幸福になることにしか興味がないの。そのための他の誰かなど知りはしないわ」
紅子は笑う。快斗のため、力を失わないために泣けない彼女は泣く代わりに笑うことを覚えたが、今はただ真実笑う。快斗の幸福を思って。
同じようにポーカーフェイスで表情を隠すことをごく自然に身に纏っていた快斗も、ポーカーフェイスとは関係なく笑い返した。恋愛感情ではないがとても好きな紅子の想いが嬉しくて。紅子も、何時からか、恋人のような特別ではなくても、実際にはごく一握りにしか心を許さない快斗の特別としての好意と信頼が嬉しくて、にっこりと笑い返した。
そう、この笑顔を。このうつくしいひとのたったひとつだけの願いを叶える為なら、幾多の犠牲も気にはしない。快斗をまもる。そのことのためだけに、己にあるすべてを懸けると決めたのだ。自身の持つ力を至上と定めた快斗の為に在れと。
紅子は独特の、血の如き鉄錆の臭いをさせた手を伸ばし、何でもないことのように快斗はその手を握り返した。
事実、何を躊躇うことがあろうか。
手はするりと、けれど僅かに離れることを惜しみ。
「じゃあ」
「えぇ。月の下で」
一歩でジャングルジムから音もなく飛び降りた快斗の後ろ姿を紅子は静かに見送った。
今宵もまた、白い咎人は夜空を切り裂くことだろう。紅子は正当な紅の魔女の血を継ぐ者として、数多の意図で彼を傷つける意志を持つものたちから彼を守るだけだ。自身の誓約と古が紡ぐ盟約と月の加護を識る者として。
Fin
あるべき共犯者である快斗と紅子の話。この『怪盗と魔女』に分類されるものでは他の人たちは表面を通り過ぎるだけの他人として認識されます。他の人の認識にどうあれ、快斗にとっては触れることは一瞬の通り過ぎる人。しかも、触れるといっても薄い膜を挟んで、そのうえ手は宙に浮いて、直接は触れないし、触れられない。触れ合う人にはなりません。例外は紅子だけ。平和の象徴として青子は少し別格です。でも、この女性のどちらも恋愛の対象にはならない。
この快斗は普通であることを望み、普通であり続ける擬態をする、けれど、決して普通ではないひとです。
シリーズではありませんが、同じ認識同じ設定の話なのでシリーズのように見えるかもしれないのが『怪盗と魔女』です。
最終改稿06/08/08
bySANCTUS
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