やさしいあめ





「んだと!?この無能大佐!!」
「なっ!?このま…ッ」
 最後まで彼の言葉を聞かずに盛大な音を立ててドアを閉めた。立派なつくりの彼の部屋を構成する要素のひとつのそれは、閉じてしまえば余程に大きな音でもない限りは中に外を伝えず、外に中を伝えるを良しとしない。だから子どもは閉じる瞬間に聞こえた一音から連想できる単語に腹を立てても、誰が豆粒だ、と小さく毒づくにとどめた。
 ドアを開けて再び怒鳴りあうというのは中にいる大人を思うと決してしていいことには思えないのだ。
「馬鹿野郎…」
 ドアに額を押し付けて、聞こえるはずもないのに更に小さく呟いた。今頃あの馬鹿は長い溜息をついて深く椅子に座り直しているだろう。そして、背を預けて安堵に身を任せているのに違いないのだ。
  誤魔化せていると思っているのなら本当に無能であるし、誤魔化されていると知っていてやるのならばやはり途方もなく馬鹿だとエドワードは思った。ついでに、わかっていながら装わせてしまう己がつくづく忌々しい。
「あら、エドワードくん。もう良いの?」
 多量の書類を手にする彼とは違い、有能な中尉はドアを前に遣る瀬無い顔をした子供の表情に気付かないふりをして、常よりも幾分か優しい表情で問いかけた。
「や。まぁ、半分くらいは。相変わらず無能でさ、大佐」
 しっかたねぇよな、と子どもは大人びた顔で笑う。無表情に近い顔でいることが多い中尉が微かに悲しそうな雰囲気を見せた。
「ホークアイ中尉?」
「少し時間はあるかしら?」
 それにエドワードは肯いた。大佐との話をしきれなかったというのもあるし、中尉の話は聞くべきだと本能に強く訴えるものがあった。


 大佐の執務室前の控え室に落ち着くと、中尉はコーヒーを置く。紅茶は茶葉の質が悪く、酷く不味いのだ。
「別に、必ず知っていなければならないことではないの。現に、知っている人は私ともう、一人しかいないわ。それでも、あなたには知っていてもらいたいと私が勝手に思ったのよ」
 聞く義務もないのだと、前以って彼女は言う。
「もしかしたら、エドワードくんには面白くない話かもしれないわ。構わない?」
 その前ふりにエドワードは了承した。
「ヒューズ中佐、いや、准将のことだろ?」
 それに中尉が静かに頷く。コーヒーカップをソーサーに戻して懐かしむ眼差しを遠くへ飛ばした。懐かしむにはあまりにも痛い記憶に繋がるものではあるけれど。
 あれはホークアイがロイの下につけられて初めての作戦の後だった。雨が降り出しそうな空模様の。
「私が大佐たちに会ったのはイシュヴァール殲滅戦のときだったわ。大佐は当時少佐で、焔の錬金術師として前線にいた。准将は大尉で大佐のフォローをしていた。私は准尉で彼らの下に配属された。
 作戦も無事終了してテントに戻ると私の顔をひたと見つめて准将が言ったの」
 ヘイゼルの鋭い眼をエドワードに向けて、ホークアイはそのときのヒューズを思い出し、口を開く。他言無用を強調し、他所へ漏らそうという気配だけでもすればその前に必ず息の根を止めるとあの不思議な碧の眼が言っていた。
「『あいつを無能にさせてやれ』」
 その言葉に子どもは瞬く。
「『いつもじゃなくていい。いつもはかえってあいつの為にならん。雨の日だけでいい。雨の日だけは、焔の錬金術師を無能に仕立て上げろ』
 今の准将しか知らない人には信じられないような低い声で言っていたわ」
 恐ろしいほど真剣な眼の奥に、ホークアイは鎔けて壊滅した町とそこにただ独り佇む彼を確かに見た。ヒューズが何を望んでいたか。
 黙り込んだ子どもが口を開くまでの僅かな時間、自分で淹れたコーヒーを飲んだ。中央セントラルへの移動が決まる前、ヒューズの死からコーヒーや紅茶には砂糖とミルクを入れるようになった。自分の分にも、もちろんロイの分にも。
「や、でもさ。大佐の錬金術は別に本当に焔を練成しているわけじゃなくて、空気の濃度を変えてやってるだけだろ?雨が降っていようが、ちゃんと火種さえあれば大佐は焔が出せるはずだ。
 それとも。もしかして准将、知らなかったとか?」
 そもそも、ロイの錬金術はそのまま殺人を可能にする。気体を操る彼は対象の周囲から酸素を奪う、ただそれだけでいい。試験のとき、あえて焔の形をとったのは、わかりやすく示すのとパフォーマンスのためだろう、と子供ながらに同じく国家資格を有する子どもは思っていた。
「いいえ、知っていたでしょう。
 大佐と准将は士官学校からの知り合いで、大佐は入学前に国家錬金術師になられたそうだから」
 親友という名は伊達ではなく、あのふたりに関して言うのならば、お互いのことで知らないなんていうことは恐らくありはしないのだろう。
「イシュヴァールのとき、大佐は最前線で殲滅を行っていたわ。軍にとって、あの人はまさに使い勝手のいい兵器だった。自分で考えて動く。けれど、元より軍人だから命令には忠実。殺生能力は抜群。大佐は理想的な人間兵器だといっていいわ。
 准将は大佐が人間兵器と呼ばれなくていいときをつくるといっていたの。大佐の銘は仕組みを知らなければ目眩ましになるでしょう。焔の錬金術師=雨が苦手。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるけど、大佐の錬金術の構成を知らなければ簡単に納得のできるものだわ」
 何よりも、ロイのはあの燃え上がる炎に意識が持っていかれて深く考える前に焔のイメージで固定されてしまうだろう。ロイの使う錬金術の理を知っていてもそうなのだから。
 ぬるくなってきたコーヒーを飲みながら子どもを見ると、子どもは眉根を寄せて先ほど出たばかりのドアを見やった。
「要するに、准将は大佐を思いっきり大切に守っていたわけだ?」
「あの大佐を見たら誰でもそうしたと思うわ。少なくとも彼の味方は」
 人目のあるところや作戦前や作戦中、作戦後なんかでは親友であれど上司と部下の境は今よりも余程しっかりとあったが。
 そして中尉はヒューズのそれに乗った人物だ。東部からついてきた、所謂マスタング派と呼ばれる部下たちはそれを知らないままに准将の嘘を本当にし続ける。
「それで今も無能?」
「ええ。彼の願いが叶うまでは」
 他に人のいない副官用の控え室とはいえ、声を潜めて交わし続けた言葉はそこで柔らかな空気に変わった。
「エドワードくんも守るでしょう?」
 それに子どもは肩を竦めて肯いた。あの大人を守ることは子どもも吝かではない。ましてや彼を兵器とさせないための方便ならばなおさらだ。
 雨の日は無能、と部下に揶揄われて落ち込んだりするわりには雨の日に妙に優しい目で外を見ているはずだ。人前では不機嫌を装っていても、彼は決して雨を嫌ってはいない。
 ロイにとって雨とは親友・部下からの優しさの象徴なのだ。
 本来なら守られる必要もないほどに力を持つ強い彼も、強い野望とは裏腹に不意に酷く脆くなる精神を持つ彼も、ヒューズやホークアイにとっては守る存在だったのだ。はじめから。
 エドワードにとってのロイは初め強いひとだった。ホークアイのロイは強さと脆さを危ういバランスで孕んで立つひとだった。
 恐らくヒューズのロイは不器用ないとしいひとだったのだろう。傍にいた彼には、ホークアイが感じたのも、エドワードが感じたのも、あらゆる人間が見るロイをそいつ等と同じ視点になることはなくても見ていたはずだ。ロイの傍にいて、さまざまなものを共有してきたヒューズには、何一つ変わることなく、ヒューズのロイは不器用でいとしいひとのままだったのだ、きっと。それは誰にだってわかるほどに電話越しのヒューズの声が、ロイを訪ねたときのヒューズのすべてが物語っていた。
 大切だ、と。
「大佐のことはやっぱりヒューズ准将がいちばんなんだな」
 エドワードの独白のような呟きにホークアイは沈黙で返す。彼が唯一名前で呼ぶことを許していることで明白だ。他の同期は皆、マスタングと呼ぶのだから。
 お互いがお互いをいちばんよく理解していた。不器用・鈍い・わかっていないと言われるロイだって、言葉にするようなところでなく、支え合い、頼りにできる存在として。
 つくづく惜しい人を亡くしたのだ、ロイは。そして、それはロイの下にいる者たちにも言えることだけれど。
「中尉?ちょっと聞きたいことが…」
 重みを増した空気に、図ったようにロイは扉を開ける。
「おや、鋼の。ここにいたのかい。すまないね、中尉。鋼のがここにいたのならいいんだ。あ、と。ちょっと待っていてくれ」
 ひょっこりと顔を覗かせて、自分の言いたいことだけを言って扉の内側に戻ってしまう。その変わらぬように見える自儘ぶりに中尉は小さく笑みを零した。
 あの日からいやに勤勉になった上司の前と変わらないものを窺わせる言動はホークアイを無関係にほっとさせる。完璧に傷の治ることなど望みはしないし、それは無理だと、それほど小さな存在ではないのだと知ってはいるが、少しでも、ヒューズの代わりを側にいることができる自分たちができればと思うのだ。
 ロイはそれを知れば、「君には十分助けられているし、君には君のよさがある。あの惚気魔の代わりに、などと考える必要はない」と今でも笑って言うのだろうけど。
 守る存在になりたい、とホークアイは思う。ロイを守り、助ける存在になりたいと。肉体ならば、この銃で守れる。だから、その心を。
「中尉、これは決裁済だよ。確認してくれるかい?それから鋼の、話の続きだ。そう拗ねていないで、こっち来なさい。中尉の仕事を邪魔するもんじゃないよ。ここは彼女がいないと滞るんだからね」
 それなりの量のある書類を中尉に手渡し、大佐はしたり顔で説教する。
「中尉がいないとダメだなんて言ってんじゃねぇよ、この給料泥棒。仕事しやがれ」
 ははは、と胡散臭くも爽やかな笑顔の大佐がぽんぽんとエドワードの頭をたたくように撫でた。
「何を言う。だから仕事をしていたのだろう。見たまえ、あれを。あれは明日提出のものじゃなくて随分先の期限のものだよ。可哀想に。ちっこいから見えないんだな。さすが豆」
「だぁれがマイクロ豆粒ドチビかぁ!!」
 毎度のこと如く過剰に反応するエドワードに、そこまで言ってはいないよ、と無駄に爽やかな声で応じている。
「構いません、大佐。確認終わりました」
 進歩のない子どものような会話は中尉の応答を機に終わった。そのやり取りはホークアイから見て酷く微笑ましいものであるのだけれど。恐らく、ロイ自身にとってもエドワードとのこんなじゃれあいは癒されるものなのだ。
「わかった。では、中尉、頃合にお茶を頼むよ。ほら、鋼の。話の続きだ」
 青い軍服を翻してさっさと部屋に戻った大人を子どもは慌てて追った。子どもの纏う赤も翻ってぴたりと止まり、ホークアイを振り返った。
「中尉。お茶ご馳走様」
 今度こそばたんと閉じた扉にホークアイは何事か囁きかけた。


 ロイが執務用の椅子には座らず、応対用のソファの片方に座れば、エドワードもその向かいに座った。意志の強い金色の眼を闇色の眼で見返して、それで、と言いながら先ほど途中になった話をするでもなく足を組む。
「一体何を中尉と話していたんだい?」
「無能の話」
 さらり、とした言葉と逆ににやりと笑ってみせる。別にホークアイはロイに話したことを内緒にするようにとも言っていなかったが、だからと言ってわざわざ話すことでもないと思えた。誤解するならさせておけとばかりにエドワードは言ってやる。
 ロイは無能とした言葉にむっとしたように眉を寄せたが、ふと気づいたようにひとつ頷いた。
「雨の日の話か」
 あまりにあっさりと言うものだから今度はエドワードが不思議に思って眉を寄せる。
「ん?中尉は言わなかったのかい?知っているのは発案者だったヒューズと当事者の私。そしてホークアイ中尉だ。作戦の一つを終わらせた後、唐突に巻き込んだんだよ、あいつは」
「それだけ信用のたる人物だったってことだろ、中尉は」
 見る眼あるね、さすがは中佐、と続け、エドワードは「あ」と零す。だからといって今更言い直すのも変だとなんともいえない顔になってしまう。
 このへんが子供だな、とロイは思う。
「中佐でいいぞ。私だって慣れないからな
 中尉が信用のできる人物だというのはわかっていたがね。巻き込まずに済むのならそれにこしたことはないというのが私の自論なんだ。一人で出来ると思っていたわけでもないが、多くの人を巻き込みたくなかったのも事実だ。ヒューズは逆に信頼できるやつは片端から引きずり込めと言っていたが」
 思い出したように零した笑みは優しいが、切ない。在りし日の過去にのみに向けられたそれを自分のほうに引き寄せたいと思うのは当然の理だとエドワードは内心で言い切って、ロイの頬を両手でそっと挟むと顔を上げさせた。
 ロイは顔を挟まれたまま、不思議そうに首を傾げた。この男は鋭いくせにどうしてこうも鈍いのか。
「引きずり込まれてやるよ。勿論、俺は俺の目的を最優先するけど、そのなかであんたのために動いてやる。あんたの望みに少しでも近づくように」
 きっぱりと言い切ってしまえる子どもにロイは笑ってみせた。
「期待せずにいるよ」




      あとがき
 ってなわけで、ロイを初めて無能にした人はきっとヒューズだと言う思い込みの話。
 エー、私は単行本派でしかも書いたときは二巻までしか読んでなかったのでいろいろと矛盾があるのは流す方向で。まず、エドは知らないし、会ってないし、中央のロイは大部屋で執務室も何もないし。中尉は参戦してたけどアレだし。……オール流す方向でお願いします。







2004/12/30