禁忌 その扉は開けてはならない






戻らないと握り潰した。






 その強烈なまでのシンパシィがどれほど危険かなんて誰に言われずとも知っていた。
 それでも、魂に重なるようなその存在を今更なかったことになんてできなかった。
 したく なかった。
 罪は罪だ。
 知っていても手放せないものもある。
 失いたくないものがある。
 喪えない ものがある。



 暗い部屋に光が射すように暗闇に慣れた目に金は眩しい。
「アンタ、何してんだよ」
 激情を殺して絞り出した声は、常の子どもより幾段低い。ぎ、と握り締める動作にバネの音が響いた。伽藍と静かな部屋はどんな音も拾い上げる。
「やぁ、鋼の。君も元気そうで何よりだ」
 すべての空気を無視して男は朗らかとさえいえる声と笑顔で応じた。けれど、それに答えはない。
「オレは、何してんだって言ってる…!」
 必死に理性を掻き集める子どもを意図してはぐらかすのは男の常だ。
「挨拶は何事においても基本だよ、鋼の」
 だがこれは。あまりに酷い。部屋のありさまと男の差異はあまりに奇異だ。
 無遠慮に広げられた資料と無造作に放置された術式。どちらも厳重な保管がされて然るべき錬金術師の財産だ。
 背にした光源から読み取れる言葉は子どもにはあまりにも馴染み深い、それだけに背筋が凍る代物だった。子どもが知る、或いは未だ手の届かない人体のすいだ。
「なにしてッ!!」
 纏わりつく恐怖を振り払うよう、耐えられなくなって叫んでみれば、男は穏やかに笑って、首を傾げてみせた。
「わからないかい。君に?」
 浮かび上がった首筋の白さに子どもは息を呑んだ。色彩の対比の鮮やかさはこれまでと同じだが、何かを脱ぎ捨ててしまったように艶めかしい。
 過ぎった思考を頭を振って払い、子どもは強く睨み据える。あの日、子どもを呼び戻したのはどれほどのつよさであっただろう。
「何、やってんだ。アンタ。アレがどんなものか、アンタだって知ってるじゃねぇか!戻せないって、知ってんだろ!?」
 それは悲鳴であった。
 純然たる願いであった。
 取り返しのつかない、絶望への恐怖があった。
 開け放った境界に怯えて立ち竦む子どもと、カーテンを閉めた窓辺に座り込む、男と。
 ふたりを隔てるのは元は白い紙に連ねられた黒いインクと床を埋め尽くす白いチョークだ。
 それは、見る者が見れば、驚嘆せずにはいられない知の泉だ。垂涎ものの成果だ。罪を犯しても、殺しても奪いたくなる莫大で精密な結晶だ。
 これほどのものを形創れる実力者は、そう多くない。
「なぁ」
 次に出た、子どもの声は泣きそうだった。そんな声が出たことに驚くこともなく、子どもは乞うた。
「かえってきてよ」
 黒い眼は深淵を覗いて光がない。男を男たらしめる、子どもが憧れ、焦がれて已まない燃える焔がない。男にとって、彼がどれほどのものであったのか、それだけで察するに余りある。
「ねぇ」
 共有した痛みはどれほどだろう。支えあった愛はかえ難いだろう。救いは互いだったろうか。
 泣くことを許せない。剥ぎ取られ、引き離された半身は。
 偽りでは、埋められない。
「禁忌、の語源を知っているかね?鋼の」
 唐突に男は語る。
「禁忌。タブー。それは“強く徴づけられたもの”というのだそうだよ。
 それがいつの間にか、聖と俗、日常と非日常、清浄と穢れ。これといった対立構造と密接に関連しだした。
 この禁忌は、神と科学、人と命、必然と意図、かな」
 命を創ることなのか、死者を甦らせることなのか。
 淡々と紡ぐ男の言葉を子どもは呆然と聞く。当たり前に存在した“禁忌”。それは神に連なる事象だ。けれど、
「禁忌をつくる概念は人間が生み出したものだ。ならば、それを振るう真理とは何だろうね。それとも、それは超然と存在して私たちがそれに触れるのだろうか。
 どちらにしても」
 男の、深淵の眼には焔が宿っている。消せない業火。
「それを決め、行うのは我々自身に他ならない」
 引き剥がされた魂は取り戻せない。そんなことは、きっとこの男のほうが詳しい。この男のこれまでの人生のなかで、それを考えることが一度もなかったはずがない。そして、それが許されるだけの実力も、十二分に有しているのだ。
「禁忌などはね、問題ではないんだよ。鋼の」
 男は立ち上がる。カーテンを、窓を開け、朝日と澱みのない風を入れる。見据えたものを失うことはできない。それこそ、喪われたる友と、己の矜持を懸けて。
「私はただ、あの男と等価と呼べるほどのものを知らない」
 男の焔。その業火。彼が守ったからこそ、罪を罪たらしめても尚、毅然としてうつくしいのだ。










  元に戻らないと
            分かって握り潰した。






                  Fin
 ただの一度も名前が出ない、ロイとヒューズとエドの話。エドは鋼の、と呼ばれるし、そう呼ぶのはロイだけなんですけどね。それはそれということで。
 まぁ、原作軸でこんな話をする時間は彼らにはないんですけど。それはあれですから(またか!)
 ヒューズと等価のものはないというロイ。こっちのがヒュロイとしての萌えは高い。だって、ヒューズが至上ってことじゃないか。彼以上はいないってことじゃないか。
 エドは要成長、要努力。生きている人間の強さで頑張れ。





09/05/06
09/07/09



By Swallow Sparrow