陽子の知らない尚隆と浩瀚の一幕






枯れない華






 遠路遙々の距離を常のように騎獣に跨り、わざわざ遊びに窓から入ってきた隣国の主従の訪問を受けたこの国の王は、当然のことながら仕事が止まった。自国の真面目な王に代わり、その突然の訪問の所為で滞る破目に陥った王の仕事をまだこちらの世界の言葉に慣れない彼女の為に、必要度の高いものから簡素にわかりやすい言葉に直すことを優先に行い、次々と湧き出る泉の如く出てくる自分の仕事を後に回した彼の元に件の隣国の王が深夜になってやって来た。
 そして、挨拶もお茶の用意もさせぬままに、単刀直入に切り込んだ。
「何故抱いた?」
 人の恋路に対して口を挟むのは大した無粋であるが、優に五百以上の時を生きた男はまったくそのことは気にせずに問い、その男が振るう太刀の鋭さで以って射抜かれながら、問われた方の男はその怜悧な顔にゆるく微笑を刻んでみせた。
「これはまた、雁王ともあろうお方が面妖おかしなことを仰せられる。
 小官が、いえ、私が主上をこの腕に抱くことが叶ったのは、あの方がそれをお許しになられたからに他ありません。私は確かに主上をお慕いし申し上げておりましたが、あの方の前では男である前に臣であるのですから」
 冷涼とした声をした冢宰は刻んだ微笑はそのままにそれ以外に何かありますか、と言外に言う。
「私の望むべくはあの方のお傍にいること。その不自由となる想いなら押し殺しも致しましょう」
 さらに続きを促す雁王に冢宰は仕方なしとわかるような風情をして言葉を足した。それは下の者が上の者にしていい動作とは云い難かったが、それを気にする雁王でもなければ、たとえ誰が相手であろうとも自国の王以外に心底敬意を払う気のない男には関係のないことだ。
「あの方は王で在らせられる。常に自らを律しておられた。言うまでも無く、私とのことも、先王陛下のこともあって悩んでおられた。二の舞を踏みはしないか、と。この国を思うからこそ」
「そしてお前を想えばこそ、か?」
 茶々を入れた尚隆に、浩瀚は軽く口角を引き上げた。
「ご推察のとおり。諸官が知れば苦言を呈するだろうことは火を見るより明らかでしょう。あの方はご自分のことよりも周りにいる者に対してお心を痛められる。私ごときのことで主上のお心を苦しめるなど本懐では御座いません」
 どんなに愛しく思おうとも、彼の人は王であり、己は忠誠を誓った臣なのだ。必要とあらば他者も自分も何の未練も無く切り捨てることを当然として、浩瀚はそう言葉をしめた。
 聞きたいことを聞いて満足したとばかりの様子で頷いた尚隆は、最早ここに用は無し、と壁に預けていた背を離す。
「主上より伺ったことですが、主上や雁王がいらした蓬莱では散るときの美を殊に愛でる花があるとか」
 用意された、この主従専用と化した客室に戻る男の背に言葉を綴る。首のみを巡らせて振り返った男の目に入るのは怜悧・切れ者を名高い冢宰の涼やかな微笑だ。
「ですが、私は此処で生まれ、此処以外には知りませんので、やはり花は咲き誇る様こそが美しいと思うのですよ。
 況してやそれが己が為の美しさであるのならば、私の為に咲き誇った馨しい大輪の華であるのならば、如何に手折らずにいる理由がありましょう。花は普通手折れば枯れ逝くが定めではありますが、枯れ逝かないというのであれば、そのような華を我が物として独占せずにいる理由も御座いますまい」
 そう言った浩翰の力強い眼差しの奥にある種の光を見つけ出し、立ち去りかけた男は小さく納得の言葉を吐き、咽喉の奥で低く笑った。
「成程。お前の言うことも道理だな、浩瀚。だが、お前は男である前に臣下だとつい先刻俺に言いはしなかったか?」
 尊大な仕草を当然のように行える、五百年の長きに渡る統治をし続けている賢君と名高き隣国国王の言葉に怯むような人物ではない彼は、一見恭しい態度で応えた。
「勿論に御座います。小官は男である前に臣であり、臣である前に良臣でありますれば」
 尚隆はもう一度面白げに「成程な」とつぶやいた。
「ところで雁王。小官からも一つ宜しいですか」
 控えめな口調で掛けられた言葉に尚隆は肯いた。この男の言動と内情が必ずしも一ではないことを尚隆は知っていたし、浩瀚も知られていることを知っていた。
「雁王の御耳に如何にしてその話、入りましたか」
 僅かながらに眼の細まった浩瀚に尚隆はにやりと笑ってやった。
 いくら世話になった相手とはいえ、自国の王が住まう宮殿でそのような話が聞こえるようなら王の身の安全が問題である。王の友人である女史たちならばまだ良いが、そうでないのならそんな迂闊な人間を宮殿においておくわけにはいかないのだ。王の周りに信頼できる者が増えようと、これから先どれだけ国が安定しようとも、完璧は在り得ない。危険の芽は早いうちに摘んでこそ意味を持つ。
「案ずるなよ。古来より言い習わされてきたことだ」
 尚隆は今度こそ冢宰府にある浩翰の部屋を後にした。
 残ったのは流石に驚いたような表情を覗かせた浩瀚と尚隆が去り際に放った言葉だけだ。
「綺麗になった」
と。
 浩瀚はゆるゆると微笑を描いた。
 曰く、「女は恋をすること、愛する相手に愛されることで美しくなる」と。





              Fin
 この話は浩瀚のとある台詞が浮かんだので出来ました。つか、いきなりこんな話ですみません。朔宮は一に利陽、二に浩陽な人間なのです。ですが、一番ありえると思うのは浩陽です。利陽だとどうやって利広と陽子が出会うのかが悩みます。とりあえず、普通じゃあるまい。
 十二国記は慶が好きです。ええ、陽子が好きです。ついでに慇懃無礼との狭間あたりで話す言葉が好きです。だから書くの楽しかったです。…ところで浩瀚ってこんな口調で良いんでしたっけ?





       改稿04/07/23