月が綺麗ですね  






アイラヴと囁く






 ふむ、と一つ頷いて、安原は隣に座る同僚へと向き直る。自分よりも適任者がいると思っていたが、誰も何もしないというならばそろそろ自分が動いてもいいだろう。
「谷山さん」
 うむうむ唸りながら事務仕事をこなしていた同僚が心あらずに返事をする。これを気を抜いているとみるか、警戒されていないとみるかは人それぞれだが、不肖越後屋安原として失敗は己が矜持を賭けて許されない。
 だからこそ慎重に。けれど大胆に。正確に核心を突く。
「谷山さん。泣いていいんですよ」
 出せ得る限りのやさしさで安原は麻衣に言葉をかける。小さな子ども相手でも、ここまでのやさしさは出せない。そんなことは安原にしかわからないことだけれど、言葉を贈った少女は稀有なことにそういったことに気づけるひとだ。
 ぴたり、と止まった麻衣を見て、嘘のつけない人だなあと、微笑ましさと微かな哀しみをもって見守る。何でもないふりで流してしまえばいいのに、安原が籠めた心情に応じて、麻衣は動けなくなってしまう。
 無器用でがんばり屋のいとしい少女だ。
「やすはらさん」
 迷い子の子ども。その一歩手前の表情で、そろりと麻衣は顔を上げる。困ったように下げられた眉が見逃してほしいと言っていたけれど、そのつもりならそもそも言いはしなかった。
 そして、もう十分に見逃してきた。いや、適役となれるはずの人へと見送ってきた。
「泣いていいんですよ。いつもいつもがんばっているんですから」
 ほら、今は僕しかいないから。
 腕を広げて、にこりと笑って。抱き締めてあげるよと安原は行動を表わす。言葉にしたら、麻衣はきっと逃げてしまうから。
 やさしく待っている腕に麻衣の涙がぽろりと決壊する。それでも腕の中には来てくれないから、椅子から立ち上がって抱きしめに。そのまま隠してしまうように。
「泣きたくなんかないんだよ」
 ほんとうに。そう言う麻衣に、ええと頷く。
「ムリしてないし」
「みんなやさしいし」
「心配なんて、させたくないの」
「それでも泣きたくなる日があってもいいんだと、僕は思いますよ」
 誰にだってそんな日は当たり前にあることで、日常の触れ合いで消化していけるものだ。けれど、麻衣はそのささやかさを永遠に失い、そして、大事な仲間たちの負担となることを怯えている。
 彼女に寄りかかられて負担に思うような人間は自分たちの中にはいやしないのに、根本的なところで人を頼り甘えることのできない少女はそのことに気づいてはくれない。いや、本当は気づいているのかもしれない。けれど、麻衣は失ってしまったから。だからまた失うことを怖がって我慢してしまうのだろう。
 安原の腰のあたりの服をぎゅと掴んで、麻衣はでも、と言う。
「でも、誰も気づいていないのに」
「隠せているのなら」
「気づかれずにいたいの」
「みんなの望む笑顔でいたいんだよ」
 顔を押し付け、たどたどしく紡がれた一方での本心に、ならば安原のすることは一つだけだ。そして、もともとそれは望みであった。
「それなら、あなたを心配したいので谷山さんの涙は僕がぜんぶもらいます」
 さらさらとしたやわらかい猫っ毛を丁寧に梳いて、安原は言う。これは麻衣の為の提言ではなく、安原の意思だと心を籠めて。本当は甘えて、頼っていたいと思う麻衣の心を抱きしめる。
 自分が守りたいと思った少女を抱きしめる。
「だからね、谷山さん」
 涙をもらうと言いきった力強さとは反対の気恥ずかしさを混ぜた安原の声音に麻衣はそろそろと顔を上げた。
「麻衣って呼んでもいいですか」
 あなたに心を配る権利を僕にください。





                         Fin
 あえてここで切る。安原→麻衣です。きっと付き合う。何ヶ月後かに。
 ちなみに安原氏は何で気づかないかな、とか思ってましたが恋する彼はただでさえ高い観察眼がさらに上がってます。麻衣に対して。越後屋は盲目にはならないっぽい。策士策に溺れるは天然娘相手には起こるかもですが。
 あと、少年が見送っていた相手は勿論所長です。お互い相手をなんとなく特別視してるのはわかっていたので、助けるのはそうであるべきだろうと思ってました。麻衣の為に。次点でパパンぼーさん。
 ナル麻衣も好きです。というか、麻衣の他カプってあんまり見かけないですよね。林さんも好きなんですが、難しい。

 これはサイト間のバトンで【I love you】を貴方は何と訳しますか。みたいなのを見つけて。自分ならそうだな、と思って書いたのがこの話です。ちなみに「泣いていいよ」が私の訳です。安原さんに言ってもらいました。だって、好きじゃない人の涙なんて重くて面倒で嫌じゃないですか。いえ、彼は好きな人の涙を受けとめたいという心です。




13/02/18
14/06/21