ひそやかに 咲う 華






     不香ふきょうの花、香る。





 モノクロの少年は笑った。
「ねぇ、ラビ」
「僕ってずるいんですよ」
 遠くを見つめ、そこにいる少年の、ただひとりを見つけ。
「ちゃんと全部わかっていたんです」(あのひとの考えることなんて)
 破顔して駆け出す。
 それまで少年の手を握っていた青年を置き去りにして。





 しんしんと雪が降る。
「アレーン。家、帰ろ。寒いだろ?」
 黒いコートを着て、両手を広げ、上を向き、降る雪を感じているアレンと呼ばれた白い少年は、背後の青年を気にすることもなくその場を動かない。
「いいんですよ。僕は。ラビは寒いのなら帰ってください」
 そっけないと思える言葉で言われ、ラビと呼ばれた青年は苦笑する。言われるだろうとは思っていたが、こうも簡単に、しかもあっさりと言われると非常に切ない。
「アレーン」
「だいたい、あそこは僕のうちであって、ラビの家じゃないでしょう」
 くるりと振り返ったアレンの眉は寄っている。
「だからさ。帰ろ。アレーン」
 アレンが一緒なら俺も帰ることができるさ、と自分以外を持たないラビは笑う。へにゃっと、どこか情けないような笑顔だ。
「こんなに頭に雪乗っけて」
 言いながらもマフラーのない細い首がとても寒そうで、だけれど決して受け取らないと知っているから自分のマフラーは差し出さない。落とした視線の先で手は白い手袋に包まれていてほっとする。元から色素の薄いアレンが素手でいたのかと思った。
 何も言われないのをいいことに頭の雪も肩の雪も払ってやり、長い睫に雪の結晶が乗っているのを見つける。精神的なショックで髪の色が抜け落ちたアレンは、髪だけではなく眉も睫も白かった。間近に見下ろして改めてそう思う。今までのなかでもそれを知っていたというのに。
「ありがとうございます、ラビ」
 払う動きが止まったのを感じてアレンが礼を言う。払われたときに乱れた髪を軽く整えた。
「ん」
 ラビはやさしい眼でアレンを見下ろした。上目遣いにラビを見やってアレンは仕方がなさそうに笑った。
「わかりました。帰りますよ」
 アレンの言葉にラビはうれしそうに笑って、アレンの白い手袋に包まれた手を握る。握れば握り返される。子どもの反射と同じだ。
「ラビは今度はどのくらいいるんです?」
 手をつないでの帰り道。アレンの問いにラビはまだ決めてないさーと笑う。
 雪がしんしんと降るなか、ゆっくりと歩いて。
 二人分の足跡が並んで彼らの後をついてくる。
「て言うより、ラビはこんなところにいていいんですか?『ブックマン』はあちらこちらで歴史を記録するんでしょう?」
「そおだけど。いーんさ!アレンと一緒にいるときは俺はラビなの!『ブックマン』はお休みしてるんさー」
 ラビが手を振るとつないでいるアレンの手もつられて揺れる。
「そんな子どもみたいな」
 くすくすとアレンは笑った。
 そのさまは、ごく普通の少年と同じだ。
「アレンさ、何だってここで一人暮らしなん?」
 伯爵やノアの一族との戦いが終わり、エクソシストとして黒の教団の本部に住む必要がなくなった後、多くの人々は元の生活に戻った。家族や故郷へと。戻らない者たちは仲のよい者たちで近くに集まって暮らしている。その仲で一人暮らしをしている者がいないわけではないが、それでも一人暮らしのアレンは珍しい。リナリーなどはずいぶんと長いこと説得を試みていたというのに。しかも、アレンが選んだ土地は、彼の仲間たちが住む場所から遠い。
 アレンは微笑む。
 いとおしそうに。
 ラビを通り越して、誰かを見るように。
「約束をね、したんです」
 うっすらと積もっている雪を踏んで残した足跡を立ち止まって振り返り、アレンはうたうように言った。
「待っているって」
 待っていろと言われて、待っていると約束したんです、と。アレンはどこか誇らしげに言った。
 これまでの生き道をすべて肯定するような目をしたアレンを、隣にたたずんでラビは見る。自己を犠牲にして、自己犠牲を自己犠牲とも認識していなかった、他者を助けるためだけに生きていたような少年だった彼が、自分のために、自分の望みのために他からの言葉を容れないでここにいるのだ。
「ここじゃなきゃ、ダメだったん?」
 話しかけることで止まった足を動かすように促す。自分の手を引くラビについて、アレンは歩き出す。
 アレンのホームに。
「ええ。始まりを、始めるので」
 帰ると決めたからにはさくさく帰る。アレンは手を引かれた状態からラビの横に並びなおした。
「待っていろ、なんて。偉そうですけどね。それを言うのがあのひとですし、そんなあの人を選んだのは僕ですしね」
 それはうれしそうで。寒さではなく、アレンは頬をほんのりと染める。
「なぁるほっど、ねぇ」
「なんです、ラビ?含んだみたいに」
 ぎろり、と睨んでみたところで、ほんのりと赤い頬と握ったままの手で恐さなどない。その思いが顔にでも出たのか、不意にアレンがにっこりと笑った。それはもうにっこりと。いつの日かに見た、ポーカーでイカサマをしているときの内心の見えないそれだ。いや、それよりも恐ろしいかも。何か言いたいことが?と、声が続いた。
(ぎゃー!アレン様降臨!?)
 心のうちで大いに慌てつつ、ラビもにっこりと笑ってみた。いつの頃からかどっぷりとアレンに勝てないラビである。だが、それを悪いと思ったことはない。寧ろ、酷く甘やかに心地よい。
 片方は余裕で片方は引き攣りながらにっこりと笑っていると、不意に片方が表情を崩した。余裕げに笑うアレンが、これもまた余裕そうに仕方がないなというように。
「そんな あのひとだと知っていたんです」
 降る雪が、風でふわりと舞う。
「だらしがなくて、意地悪で、人でなしで、ずるくて、厳しくて。そして、」
 今度は先んじてアレンが歩き出す。アレンが帰るべき、待っているあのひとを待ち、待っているあのひとが帰ってくる、家に向かって。
「やさしい」
 つないでいる手に力を入れて、ラビは返事と代えた。
 しんしんと降る雪は、だんだんと強くなり、視界を過ぎる雪が多くなる。
「ラビ」
 白の視界のなかで、歩き出したはずの足をアレンは止めた。
 見えない一点を見つめたまま、口を開く。
「でも。ねぇ、ラビ」
 ゆっくりと口を開く。
 うっすらと黒い影。
「僕もね、ずるいんですよ」
 遠く、そこに帰ってきたアレンのたったひとりを見つけ。
「ちゃんと、全部わかっていたんです」
 ラビに向けて話しかけながらも、アレンの視線は一心にそのひとを見る。いや、もしかしたら、惰性で言葉が綴られ続けているだけかもしれない。
 零れるような笑顔を見せ、泣きそうにうれしくその眼を和らげて、アレンは駆け出す。
 それまでつないでいたラビの手を離し、置き去りにして、アレンは脇目も振らない。
 いや、きっとアレンの意識なかに、ラビはいない。
「知っていたさ。そんなコト」
 ラビは呟く。ぬくもりを失った手を握りこみ。
 アレンの眼が、クロス元帥。アンタしか見ていないことなんて。
 何を言っても、アンタのコトを話すアレンがどれだけいとおしそうであったかを。
「知っていた」
 アレンを抱きしめるクロスが、射抜くような眼差しを寄越すのに、ラビはそう告げた。
「アレンも、アンタも、お互いしか見ていないことを」
 聞こえないはずの声を確かに受け止めてわらう、男に。





          Fin

 ラビは片恋のヒト。これは変わることのない不文律です。報われなくてこそラビ。
 この作品は120%師アレで構成されてますが、何か?
 うら設定。
 アレン様はラビの気持ちに勿論気づいてます。気づいていながら、明確に言葉にされないのできれいにスルーしてらっしゃいます。
 アレン様の信条には「言わなきゃわからない」がありますが(わたしのに、ですが)は、マナと師匠というアレンの人格形成に多大な影響というか根源であるというかの二人ともが言ったことなので、言われない言葉は華麗にスルーすることになっています。自分の気持ちはちゃんと伝えなさい、と懇々と諭してくれたマナと、言えば答えるが言わなきゃ答えないを実践した師匠の教育の賜物です。
 なので、言わないラビはいいおトモダチ。言ったところでさっぱりとふられるだけですが。

 ※不香の花――匂いのしない花の意。雪の異称
 ついでに私は初めて不香の花という言葉を見たとき、六花ではなく桜のことかと思いました。
 更についでに、「不香の花」ということばを「かおらずのはな」と読むのだと素敵だと思うんですが、どうでしょう。




2006/06/18  脱稿は2005年末