優しさの起爆剤






彼等の流儀






 それは例によって例の如く、というほどでもないが、こちらに来てからはよく見る光景のひとつだった。
「るっせぇ!!」
「はっ。だからオコサマだって言うんだよ。テメェもな」
 何を言われたのか真人が顔を真っ赤にして彰に怒鳴り、彰がそれを軽く流すようにしながらも煽る。この遣り取りは結局真人が怒り任せに去ることで決着を見るのだ。
 はじめのうちこそ心配して仲裁していた者たちもこれが日常化するに当たって傍観を決め込むようになった。翔太郎は未だに心配することもあるようだが、彰に突っかかるようにして止めていた竜馬や健太は呆れているだけだし、結太や誠などは寧ろ囃し立てるほどだ。
 今となってはこれが彰流の気の抜かせ方だと皆気付いていた。若干名を除いて。
 日々、僅かにだが溜まっていく鬱屈を三十分もすれば気にしなくなるような些細な喧嘩にすらなりようのない言い合いで発散させるのである。
 自分で昇華できる者や友人との掛け合いや労りでそれができるのであれば特に問題はないが、そうではないものは声にして外に出したほうがいい。
 直接的な不満では声にしづらくとも、そうしたどうでもいいようなことなら大声で言っても気にせずに済む。
 彰の狙いはまさにそれなのである。
 こういったことをするのにも向き不向きがある。たとえば、克己が言ったのでは相手は重く受け止めすぎてしまうし、星史や英明では相手を切り伏せてしまう。だからといって浩多が言おうものなら冗談と本音の差がわからず、余計に混乱させてしまうだろう。揶揄いだと誰にでもわかるように言える彰や京介のようなタイプが最適なのだ。
 前々から大人数での己のスタンスを理解していた彰がチームメイトに対して、時に発破を掛けるため、時に悩みを吹き飛ばすために使っていた常套手段だ。要するに誠もこれには中・高とよくお世話になっていたのである。勿論、現在進行形で。
 そういったわけで、どういう理由で彰がちょっかいをかけるのかを経験で知っている誠と考えの読めていた頭脳派たちは無関心に近い態度で放っておいたのだが、今回はいつもと違った。
「酷いな、彰」
 それはぱっと聞いただけなら真人を庇い、彰を責める言葉。
 何を思ったのか、いつの間にか彰の隣に来ていた克己がそう言ったのである。
 彰との付き合いの長さの点から言っても、リーダーシップをとる立場からしても、況してやこれまで傍観者でいたことからしても、克己が彰の行動の意味に気付いていないはずがないのだ。本当に、何故今回に限ってと思わせる克己の言動だった。
 その証拠に彰が僅かに瞠目している。
「克己?」
 訝しむように彰は克己に問い掛けた。
 この時点で真人のことは彰の頭からほぼ抜け落ちた。優先度の違いである。
「酷いな、彰は。最近、気が付くと森川のことばかり。
 俺のことは、もう、どうでもいいのか…?」
 いつもは穏やかなはずの眼差しが、今は悲しみの翳りを帯びて軽く伏せられていた。身長差のこともあって克己が目を伏せても、閉じていないそれは真人にはよく見えた。その悲しそうな色に、別に真人が悪いわけではないはずなのだが、慌てる。極悪人にでもなった気分だ。克己のこの表情を見せられるのは、きっと翔太郎をいじめてしまうのと同じくらい心臓に悪いのだろう。真人は翔太郎をいじめたことがあるわけでもなかったため、本当のところはわからなかったが。
「悪かった。克己。そういうわけじゃねぇよ」
 悲しげな目とは逆に、何かに、まるで泣くのに耐えているかのように微かに震えている手を彰は取った。大きくて骨ばった、けれど無限の優しさと包容力を有する克己の手。
「お前が大事だってことは何も変わらない。マジで悪かった。確かに最近、あんまり傍にいてねぇな」
 反省した彰の言葉に真人は内心首を傾げる。真人が知っているのはこちらに来てからの短い時間だけだが、それでもこのふたりは常に一緒にいるような、そんな印象で記憶していた。それとも、そんな印象で認識しているだけで本当はそうではなかったのだろうか。
 そうして真人が少しばかり記憶の海を漂っていると、動く茶の色が目に入った。克己が小さく、だがしっかりと首を振っていたのだ。
 それは違うと、そう彰に伝えようとするかのように。
「いや、すまない。俺が大人気ないことを言ったんだ。頑是無い子どものような我が儘を。彰には彰のやることがあるとわかっているはずなのにな」
 そう言って真人と彰に笑ってみせた克己の顔はやはり悲しそうで、切なそうで、そして苦しそうで。真人はどうしようもない罪悪感に駆られる。
 確かに真人にもここ最近、毎日といっても差し障りがないくらいに彰と言い合っているような記憶があった。そして、それから暫くすれば理由のない苛立ちから気分が晴れていたことを真人は思い出す。
 自分がもしかしたら本当に酷いことをしてしまったのかもしれないと、俄かに罪悪感が凄い勢いで真人を襲う。克己を見ていることが耐えられず真人は下を向いた。けれど、こうして逃げていてはいけないと顔を上げる。
「これを償いの代わりにさせてくれ」
 言葉と共に克己に指先に口づける。受けて克己はほんの少し淋しさを眼に残したが、表情自体はやわらかく綻んだ。
 それは神聖な儀式めいていて、その一瞬でこの場の情景すらも変わったかのような錯覚を真人に与えた。
「次からは気をつける」
「彰」
 憂色に彩られていた克己の顔と真摯過ぎるほどに真摯だった彰の顔が変わった。否、戻った。穏やかで不適なその表情に。
「充電完了。これでお前もイイな」
 口吻けた克己の手を弄ぶようにしながら彰はにやりと笑う。視線の先にいる克己も何やら楽しげな色を多分に含んだ顔で笑って肯いた。
 ふたりのこの変化には、先程までの表情とのギャップで皆が皆、驚いた。付き合いの長い誠でさえ呆然としている。
 彰と克己の一見どう見ても寸劇のようなものとしか思えないそれからいちばんに復活したのは意外なことに真人だった。
 目の前で見せ付けられていた憂い顔も、やわらかな春の陽の微笑も、真面目な顔も。一瞬で霧散した。
「………なっ。アンタまで、俺を揶揄って楽しいのかよ!?」
 罪悪感までもっていたものだから真人のその衝撃は最も大きかった。怒りまかせに真人は叫んで踵を返して走る。その方向にいるのは英明と結太だ。走り抜けてしまいそうな真人の腕を英明は摑んで引き止めた。
 感情のままに何処かに行かれると探しに行くのが面倒だからである。ついでに、後々まで残りそうな遺恨は作る前に潰すに限る。相手側に悪気がないのなら尚更だ。
 という英明の思考は当然のことながら真人には届かなかった。
「んだよ!英明!!」
 真人が摑まれた腕を振り払おうとする。もう走りだしそうもないのを見て取って、英明はあっさりと手を放した。すると、完璧に楽しんでいた結太が感心したように言った。
「にしても意外だな。北沢ってば結構役者?」
 微かに笑みを含んだ結太の口調に真人はむっとする。それに英明は呆れたように声を掛けた。



「……酷いな、森川」
 叫んだ真人が英明に腕を摑まれているのを見ながら克己はぽつりと呟いた。それは先程彰に言ったのと似て非なるもの。
「気にすんなよ」
 宥めるように彰は克己の肩を叩く。さっきとは違ったもの悲しい目をする克己が言う。
「揶揄ってもいなければ嘘もついていないのに」
「だから気にすんなって。お前は今までどおりでいいんだよ。あいつよりお前。お前のフラストレーションが溜まる方があとで厄介なんだ。
 聞いてんのか、克己?」
 ぼんやりとしている克己の着物の合わせを摑んで彰は克己を自分の方へ引く。
「いいか。お前も俺もお前の言ったとおり嘘も何もついてねぇんだ。気にするなよ。わかったな?」
 ぐいと引っ張られ、目の前に迫った黒曜の眼と真正面から見つめ合い、幾度か瞬きを繰り返す。焦点を結び直し、触れるほどに近づいた眼の主を漸く認識した克己は透き徹った黒に今度こそ笑ってみせ、応えた。
「ったく。いくらさっきまで素だったからって素直に落ち込んでんな。お前は日頃の策士らしく、いつだってふてぶてしくしてろ」
 そのまま当然のようにふたりは目を閉じて唇を触れ合わせる。
「今日は逃げないんだな」
 克己が彰の頬に手を添えれば、彰が克己の首に腕を回す。
「ま。たまにはな」
 そして交わすキス。



「確かに必要となったら北沢も演技くらい上手くこなすだろうけどね。今のはそんなの関係ないよ」
 英明の断定的な言い方に、結太は不思議そうに、真人は不満そうに問う。
「北沢は策士のわりに天然も入ってるんだよ。浩多なんかとは違ってね。アレは素。狙いも含みも一切何もないよ。あのふたりの表情が見事に変わったのはふたりとも相手から欲しいものを貰えたから。真人の穿ち過ぎだね」
 見てごらんというように英明が視線を向けた先にいるのは、寄り添い相手の肩に額を預けて微睡むように寛いでいるふたりの姿。「人」という字は、なんていう言葉に合うようにお互いを支え合って。
 真人は巻き込まれただけだと、どこか呆れたように英明は言う。
「九代も驚いていたから普段はふたりしかいないときにああなるんだろうけど。あのふたりは基本的には自力でなんとでも出来るだろうし、お互いがいれば十分な人たちだしね。
 今のを見てたらわかるけど、フラストレーションが溜まってたのは北沢だけじゃなくて小早川も一緒だったんでしょ。同じタイミングで解消すればいいっていうんだから、まさにベストパートナーなんじゃないの」





             Fin
 黎葵のあとに書く方のリク。「真人を揶揄う彰」か「彰と克己のラブラブ話」でした。ついでに彼女はノーマルです。なのでここのサイトは教えてません。ついでに彼女に渡す原稿はキスしませんから。それ以外は、まぁ、そのまま。もっと削ったほうがよいだろうか…。
 「真人を揶揄う彰」か「彰と克己のラブラブ話」で後者にしようとしたのに、何故だか電車の中で出来た草稿は「ラブラブな彰と克己が真人を揶揄う話(ちょっと違う)」になった。何故。
 これの影のテーマは「自分から折れる大人な彰」です。いえ、克己が相手とはいえさらっと悪かったって言うものだから。





改稿04/02/07