この手であなたを救うということ。






 血が止まらない。
 流れる量は減っていたが、それでもこの紐――正確には裂いた克己の着物――をほどいたら溢れ返るように再び出るのは間違いない。さっきは克己の手前ああ言ったが、動脈は切れてはいずとも傷ついているのかもしれない。少なくとも無事だと思うのは、もう彰には難しかった。
 血止めと消毒と、そんな効果が認められている薬草とすり潰して傷口に当てても、やる側から無駄だと思う。しみ出る血が薬草を滑り落とそうとするし、切り裂かれた内側にぬれるわけでもない。もし本当に動脈が傷ついていたら、縫いつなげるべきではなかったか? だが、ここでそんなことができるわけがなかった。
 それに余り長時間縛っていたら指先から壊死してしまう。そうしたら、この腕を切り落すのだろうか? 赤く色を変えるほどに焼いた剣で。
 彰にとって、否、全員にとっても、己の無力は絶望と近しい位置にいた。その中に身をひたした彰には、目の前で交わされる会話の四分の一も入り入りはしなかった。
 奥歯すら噛み砕く強さで黙るしかない。強張る顔を普段のものにできない。
 無駄だと知っているのに、治療もどきを続ける手は止まらない。
「彰」
 止めることを拒否するように動く手に、自分の手を重ねることで克己は止めさせる。
「もういいよ」
 微笑む、その顔。己の現状を知っている顔。
「俺の見通しが甘かったんだから」
 無理に笑っていた表情も、自然に微笑った表情も、顔から消える。
「お前が言った通り、俺の責任範囲だ。俺がこの腕を失うのは」
 諦めのいい言葉。違う、諦めた言葉。
 相手を思いやるのが性分の自分を殺す彼の言葉。
 それに、彰の中の何かがはじけた。
「違うだろっ! お前は本来ンなに諦めのいい奴じゃねぇだろうが!! 何遠慮なんかしてんだよ! 俺に!! いつも通り言ってみやがれ! お前は俺に言ったっていいんだよ!! 俺はお前と対等なはずだろっ!?」
 着物の片側を掴み上げて、詰め寄る。我慢ならなかった。克己が仕方が無いと、自分に言われるのも言わせるのも。そんな遠慮した関係など疾うの昔に破壊したのだ。
 他人であって、他人ではない。互いの存在は。
「……勝手を言うぞ」
 睨む彰を克己も睨み返す。だがその時には二人とも気づいている。彰は自分の中から沸き上がってくる熱をもった力があることに。克己は見慣れた親友ともの姿を包む力に。
「治せ。お前が、この傷を治してみせろよ。お前が俺の我儘を叶えろ」
 冷えた眼が言うが言葉が笑っている。どれにどんな力があるかわかりはしないのに、彰は自分を治せると克己は確信していた。逆の確信を彰もまたしていた。
「お前も俺の勝手に目ぇ瞑っとけよ」
「考えておくよ」
「ずりぃやつ」
 囁くように笑う。妙な確信があった。片手で当てた薬草を落とし手を翳す。仄かに温かいの流れが彰から克己へと伝わっていく。
 あとはもう簡単だった。何がとかどうして、なんて関係ない。歴然とした事実。怪我は治っていく。麻痺しかけた痛みが消えていく。ふさがっていく怪我を見ていても、治しているのが自分だとしても、止血に為に縛った紐をほどく手は不様に震えそうだった。一度強く握り込んで堅く結ばれた結び目に手をかける。
「とるぞ」
 傷は完璧にくっついているように見えた。
「あぁ」
 血液は力強く流れようとしている。結ばれた一点は痛みを覚え直していたし、何よりも指先は氷のように、否もしかしたら氷よりも冷たかった。
「「……」」
「切るか」
……堅すぎた為切った。
 ドクンドクンと大きく脈うつ腕を光に透かすように持ち上げて眺める。それからすっと傍を見上げた。
「…ありがとう」
 立ち上がった彰の眼をしっかりと捕らえて笑った。随分と久々の(黒くない)笑顔だった。


「どうやら上手くいったみたいですね」
「せやな」
 たっぷりと水を入れて持ち帰る途中、湧き水のように溢れ出た黒色を見上げる。
「旦那の腕、あのままやったらあかんことになっとったやろ」
「えぇ、きっと」
 笑みを浮かべていない浩多の顔は酷く冷ややかだ。
「無事に終わったんですから、別にいいですけど、ね」
「何や、裏のありそうな言い方やんけ」
「そうですか? ないですよv 裏なんて」
 にっこりと笑う浩多に「ま、それでいいわ。今は」と、にぱっと京介も笑い返して終わらせる。
「どないな風になったんか楽しみやなぁ、腕」
「さぁ、元どおりじゃないですか? それにしても何で僕らは視えるんでしょうね」
 ありがたいことだが。
「そんなこと分かるかい。案外、自分ら覚醒めざめとるんかもしれへんで」
「どうでしょうねぇ」
 さぁ、行きましょうと歩き出した。


 はじかれたように振り仰いだ健太が駆け出そうとし、竜馬が反射的に腕を掴んだ。
「ちょっ…」
「行かなきゃ。きっと何かあったんだ…!」
 ばっと竜馬と向き直り、
「戻らないと! 北沢さんに何かあったんだ!!」
逆に腕を掴む。思いきり握り締めた。
「何かって、何だよ! 何が見えるっていうんだ?」
「何って…、あんなにはっきり見えるじゃないか!!」
 健太の目には立ち昇る黒い光・煙、とにかく黒い何かが見えていた。
「黒いのがあそこから…」
「北沢さんは白だろ? 白虎はそうだって杉本が言ってたじゃないか。第一、俺には見えない」
 竜馬は眉根を寄せる。掴まれた腕は痛いのに、竜馬から手を離すわけにはいかない。押し出される際に京介に言われたことが気にかかる。
「なるべく時間かせいでくれな」
 低い声で早口に言われた言葉に反論する間もなかった。自分にはわからないことで動かされるのは嫌だというのに。
「水谷さん!」
 動き出さない竜馬に健太が焦がれた声を出す。
(もう無理だし、説明しなかったあいつが悪い!)
 竜馬はそう自分に言いきかせ、手を離して先に駆け出した。


「でかい狼煙」
 視界を閉ざしている英明が小さく呟いた声を聞き、大輔は首をひねった。
「…何処にだ?」
 洞窟内から見えたのは、克己と彰のただふたりきり。


 ドン。ガラガッシャーン。ガタタ。ドタ。ベシ。ベヘ、ゲフ。ゴ、イィィィン。
「カ、枷圖さん! ちょ、待ってくれんね! 死ぬ、死ぬ!」
 騒音の元が更に騒ぐ。
「じゃかぁしかぁ! こげんな大馬鹿、見たことなか!! 克己を切ってどーするんじゃ!!」
 ガン。ザッギ。ギィィン。ガス。
「た、太刀を抜くんは、いかんよ。枷圖さん!! ホンマに死ぬ!!!」
「一片死んでこいッ!!」
 ザシュアッ。
 昭平の着物を思いきり切り裂いた。昭平は健太を相手にしたときより青くなっている。
 流れる冷や汗。浮かぶ脂汗。
 綺麗に着物だけ切って皮膚一枚傷つけなかった枷圖の腕前推して知るべし。
「そ、そや。枷圖さん、コレ見てください。ほら、大丈夫やないですか!!」
 薄く笑みを引いて睨み据え、構えを上段にした枷圖の目の前に、昭平は地上の様子を映し出す。
 それは丁度新しい着物に克己が着替えようとしている風景で、枷圖はほぉと息を吐く。克己の隣には一人の男が背を向けて立っていて安堵のその表情をしていた。
 治りきった腕。
「骨の手前まで切ったん言うとったな」
 昭平は黙ってコクコクと頷く。
 沈黙、再び。昭平にとっては生き地獄。
 映像は続き、他の人間が克己の周りに来たが、一言一言で彼らは先に戻っていく。
 そうして不意に克己が口を開く。
『          』


「何か言ったか?」
 いきなり背後の方を見た克己に訝しむ声を彰がかける。
「いや?」
 小さく微笑い、先を歩く彰の背を見たままヒラヒラと手を振った。


 昭平は部屋の片付けの罰だけで済んだ、とか。





      Next
 彰覚醒篇。克己が怪我する話からが彰の覚醒の話なんですけど。
 彰が一番真剣に怒ったのはこの話です。自分の無力を痛いほどに思い知らされたのもこの話。