解けた彼女の罠と未だ力無き彼等。






「雪乃さん。皆は…」
「動けましょう。もういらっしゃるはず…。水谷殿、この花を何処にてお見つけになられましたか?」
 雪乃の目は花から外されていない。
「何処って普通に山菜が採れたところにあったけど…」 追いつくのはそう難しいことではなかった。同時に捕まえるのも。何せ、真美子は縛られたように(事実操られているのだが)ゆっくりと歩む。追いつけば止められるものだ。
「真美子ちゃん、しっかりして。」
 克己は真美子の前に立ち塞がり両肩をしっかりと掴んで視線を合わせた。合わせはしたが真美子の瞳には相変わらず何も映っていない。意志がないのは人形の透明な瞳、というより曇ったビー玉のようだった。
「真美子、しっかりしーや。いい加減に目ぇ覚まさな。」
 京介は後ろから羽交い締めに押さえ込む。だが真美子は何も見ないまま前に進もうとする。とりあえず、といったように竜馬も横から呼びかけた。
「おい、何やってるんだよ。」
 力自体は強くない。これは真美子自身の力なのだ。だから京介が押さえているのは苦でも何でもない。ないのだが。
「真美子ちゃん、真美子ちゃん?」
 克己はぺちぺちと頬を叩く。穏やかに微笑む顔もさすがに困り顔だった。
「真美子ちゃん…。…これは?」
 真美子の手を包み込むようにした克己の左手にピンクの花が触れる。胸より少し下で持っているのにどうして今まで気付かなかったのか。
「あ…」
 竜馬が声を零した時、
「北沢殿!触れてはなりませぬ。」
雪乃が走ってきた。
「触れてはなりませぬ。其れが媒介です。」
 克己と位置を変わり雪乃は真美子の目の前に立った。
「何故おかしいと思いながらこれだと気付けなんだ…」
 雪乃は真美子が両手に捧げ持つ花を見つめた。

「ありえませぬ。これは山の頂に、それも秋の終わりに咲くのです。色とてかような強い桃色ではなく雪に紛れる桜色なのです。」
 そう言って懐から札を取り出す。すいと細められた目。
「急急如律」
 真美子の額に押される札。すると真美子の体から力が抜ける。
「うわっ。なんなんや、いきなり。」
「力が抜けたからお前に全体重がかかったんだろ。」
 脇下に入れた京介の腕に真美子の体がぶら下がっている姿を見て竜馬が素っ気なく言った。
「はぁ、そやかてこないにいきなりでなくともええやないか。こっちにだって心の準備っちゅーもんがあるんや。」
 よっと真美子の体を抱き上げる。要するにお姫様抱っこだ。
「なら寝かせとけばいいだろ。ここは草原なんだから抱き上げるよりもよっぽど楽でいいんじゃないか。」
 いささかムッとしたような口調で竜馬が言った。
「いや…やっぱ女の子をこないな処に横にするんは悪いやろ。草原ゆうてもその下は土なんやで?冷えてくるやんか。」
「…途中でゴロゴロやって笑ってたぞ?」
「そーなん?でも…やっぱなあ。ええわ。これも役得やろ。」
 にぱっと笑う。
「…なら勝手にしろ。おい、あんた。」
「如何なされました、水谷殿。」
 克己と何やら話していた雪乃は面を上げた。花を見ていたのだ。
「あいつ、もう大丈夫なんだな?」
 札がはられ今は安らかに眠っている真美子。
「はい。そのはずにございます。あとはこれの処断さえ決めますれば。」
「戻る。」
 一個で返すと竜馬は踵を返し、追いついていた彰たちの側を通り抜ける。
「どうしたってんだ?リョーマちゃん?」
 彰の側を通り抜ける竜馬にニヤニヤと嫌な笑みで、口調で以て問いかける。一瞬びくりと反応した竜馬はそれでも止まらずに歩いて行った。走らないのは彼の意地だろう。
 その様子を見送った彰が面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「おい、あんた。」
 隣でそれを見ていた洋樹はふいに彰に行った。
「…なんだよ。」
 多少の間はあまり話しかけてこない、というか面倒臭げな洋樹が呼びかけたので驚いたのだ。
「あんまり野暮なことはするなよ。」
 言うだけ言うと彼もくるりと踵を返した。もう大丈夫だと聞いたのでさっさと戻ることにしたのだ。居たとこですることもないのだし。
「はあ?なんだそりゃ。」
 彰はその背に向かって言い返したが洋樹はわからないのならばいい、とでも言うように肩をすくめてそのまま行ってしまった。
「ちっ、なんだってんだ。」
 吐き捨てる。
「克己先輩。何見てるんですか?」
 誠がのしかかる。克己の肩口からひょいと顔を覗かせる。大型犬が懐く、そんな構図を連想させる。
「誠、重いよ。」
 ぽんぽんと叩く。退いて欲しいという合図なのだが誠は気にせず克己にのしかかったまま、えへへと笑って腕を回して抱きつく。
「あ、かわいい。」
 花を見た誠が手を伸ばす。克己は地面につけているのとは逆の手で誠の手を掴んだ。
「誠、駄目だよ。それにそろそろ退いてくれ。本当に重い。」
 疲れた克己の声に、
「えー!そんなっ。克己先輩、もっと一緒にいましょーよー。いっつも彰先輩が近くに居るんだから今度は俺の番!」
「いや、そうじゃなくてだな…」
「おらっ、いい加減退け、テメェは。克己は重いっつってんだろうが。」
克己の台詞の途中で彰は誠を蹴り退かす。
「ってー!」
「大丈夫か、克己。」
「ああ。助かった。ありがとう、彰。誠も大丈夫か?」
「はいっ。」
 克己に心配されて誠は元気良く答えた。ここで駄目だと言えばもっと甘えられるのではという考えは今は出なかったようだ。
「ていうか何で彰先輩が蹴るんですか!?」
「ああ!?んなもん、のっかられてる克己じゃ蹴れねぇからに決まってんだろ。」
「そうじゃなくて、もっと別の方法があるじゃないですか!」
「うっせぇな。一番楽な方法を選ぶのは当然だろうが!」
 ぎゃいぎゃいと騒がしい言い争いを続ける二人に克己は溜息をついた。そしてどうにかできないだろうか、頭を悩ませるが良い考えは浮かばず、普通に双方の肩に手を置き、グイッと離して一言。
「もういいからやめろ、二人とも。」
 馬鹿馬鹿しい言い争いは漸く終わった。

 誠が克己にのしかかり彰が蹴り退かす少し前。
「…大丈夫か?」
 花を見て眉根を寄せる雪乃の隣に立った遼の小さく低い声が問う。その声音に僅かに感じられるのは気遣いだ。雪乃はほんの少しほっとした表情で、
「私ならば大丈夫だ。」
「そうか…」
遼の眼差しは心持ち和らいだようだった。
「ありがとう」
 見つめ返されるのに、ふいと遼は視線を外す。
「別に…」
 ただ思っただけだ。もしかしたら“払い”をする方も疲れるのではないかと。大変ではないのかと。大丈夫だと言えるなら大丈夫なのだろうと遼は納得した。雪乃が言ったとおり、確かに大丈夫そうだったから。それはもう、彰と誠の言い争いが泣きたくなるほどに邪魔になるかと思えたのにそこだけ守られているかのように優しい雰囲気だったのだ。
 克己たちの方を楽しげに見ていたと思えた京介は(もちろん見て笑っていたが)しっかりと、二人の様子も見ていた。
「ええなあ、若い者は。青い春やな。」
などと真美子を抱き上げたまま呟いていた。

「それで、その花はもう平気なのかな?」
 さすが、というもので彰と誠の無意味・無利益な言い争いを止めた後、克己は先程のことなぞまるでなかったかのように本筋に話を戻した。もちろん至極普通に。
「はい。払い…浄化は終わりましたので平気とは思いますが」
 平気と言いつつもやはり不安が残るらしい雪乃の言葉に克己は眉を寄せた。
「何か問題が?」
 従妹の身のことでもあるし四神の御子じぶんたちとも関係が深い為、いい加減に終わらせるわけにはいかないのだ。
「できるならこの花を燃やしてしまいたいのです。これは一切結界にかかることなく通りました。絶対に安全であることを私には言えませぬ故。」
「そやな。不安の芽は摘んでおくもんやからな。せやかて火なんてあらへんよ?どないするん?神社まで持って行くか…いや、それじゃ意味ないか。」
 京介がひょいと覗き込んだ。これで漸く全員が花に注目したことになる。彰と誠には克己がしっかりと説明していたのだった。遼は相変わらず雪乃の隣にいた。呪いに関して素人だった彼らは雪乃の判断を待っていたのだ。ここに浩多がいれば違っていただろうが。
「火ぃなんて普段持っとるもんやなしなぁ。」
 真美子を抱え直しつつ京介は再びぼやく。ただでさえこの時代は火打ち石で、自他共に認める器用な男・京介であっても火をつけることはできない。いつも雪乃が点けるのを器用なもんやと思って見ているのだ。
「おい、克己。」
 ただ黙って聞いていただけの彰がふいに克己を呼んだ。
「ああ、わかってる。」
「さっさと終わらせて戻ろうぜ。」
 彰は克己を急かす。とりあえず終わるまでここにいる気はあるらしい。
「そうだな。真美子ちゃんを普通に寝かせなきゃいけないし」
「だからどうするんや。これ燃やさなあかんのやろ。」
 京介は再びつっこみ、克己は上着の左ポケットに手を入れるとすぐに出した。何かが握られているような感じである。
「マッチ持ってるから。」
 克己の大きな手にマッチの箱が一つ。
「なんで持ってんねん、自分。」
「ライターも持ってるぜ?こいつ。」
 彰が首をしゃくると克己は右ポケットから鈍銀色のオイルライターを出してみせた。
「せやからなんで持っとるんや。吸うんか?」
「いや」
 克己は苦笑して否定した。
「吸うのは俺。」
 彰が付け足す。
「何で彰先輩が吸うのに克己先輩がライター持ってるんですか?」
「せや。彰もライター持ってんと違うんか。煙草吸うんやったら。」
「俺はこいつので火点けるから持たねぇ。」
「「はぁ?」」
「それに、克己が持ってるのは俺がこいつから貰ったヤツだし」
「「はぁ?」」
 謎は更に深まった。
「みんな、雪乃さんが困ってるからその話は後な。とにかく終わらせよう。」
 克己が止めに入った。でも元を正せば原因の一端は克己である。黙った三人に安心してマッチを擦ろうと克己はマッチ棒を出して、ちゃんと火薬が手前に来るように持ち替え赤リンにマッチ棒の火薬を当てた。もう擦るだけで、というところで今まで黙っていた雪乃が疑問を呈した。
「北沢殿、まっちとはどのようなもので、何が為に使う物ですか?」
 ふと、沈黙が降りた。
「せやな。あらへんもんな。」
 何処か遠くを見つつ京介が呟いた。
「あーと。まず何に使うかというのは火を点けるのに使います。どのような、というのは、そうだな…」
 げし。
 蹴られて克己は慌てた。マッチの頭薬を側薬に当てたままだったわけで、擦れて火がつく可能性があったのだ。
「彰、覚えとけよ。」
 低い呟きを無視し、彰は再び急かした。
「いいから早く燃やせ。んなもん後で言やぁいいだろうが。俺はさっさと戻りたいんだよ。」
「ああ、そうだったな。それでいいかな?」
 こくりと頷いた雪乃を見て克己はマッチを擦った。火薬の独特な臭いがする。
 メラリ。と花に移った火が花弁・萼・茎・葉と広がると消えた。灰が残らず置かれていた草原に黒い影が残ったのみ。
「ほー。ほんまに呪やったんやなあ。こっちの草には一切燃え移らんとこの花だけ燃えてしもうたわ。」
 京介はしみじみと頷いた。
「はよ戻りたいんやけどなあ。」
 どこか含みを持たせた声。誠はどうしたのか克己にへばりついて一カ所を見ている。
「ああ。同感だが…そちらの人に名乗って貰いたいのだが。」
 克己が声をかけたのは誠が見つめる一点に対して。
 ぐらりとそこの辺りが揺れる。陽炎のように揺れるそこから女が一人現れる。白磁の肌、背に流れる漆黒の絹糸の如き髪、紅を引いたように艶やかな赤い唇。決して豪華な美人ではないが、凛とした美しさを秘めた女。彰が小さく口笛を吹いた。
 伏せていた瞼を上げれば露になる瞳もまた漆黒。闇の色。ゆうるり、とその赤い唇を開く。
「お初にお目にかかります。四神の御子方、央の君。私の呪を破られたことに敬意を持ちまして名を。椿と申します。」
「ご丁寧にどうも。あなたは彼女を殺すつもりかな。」
 外交役に出たのは克己で誠は少し離れると飛びかかる態勢に入るようにする。遼の剣を持つ力が僅かに加わる。雪乃は懐の札を思い浮かべ、彰は楽しげに弦のない弓を肩にかけた。京介は真美子を抱いたまま動かない。
「私に何が応えられましょう。全ては我が主の御心のままに。されど今日はもう終いとなりましょう。私一人では御子方の相手は務められませぬ故。」
「無事に戻れると思うのか?」
 低い遼の声に椿は笑む。
「戻れます。武にして未熟。術にして未熟。戦いにおいて勝ち得るは無理、難有ることではありましょうが、帰るには皆様方では防げませぬ。私を出すことすら叶わなかったのですから。」
 余裕ある言葉は確実な事実の裏付けがある。彼らは確かに椿が姿を見せなければどうしようもなかった。位置がわかっていても手出しどころか椿の意志がなけれ話もできなかっただろう。
「そうだろうな。でもいくつか訊きたいことがあるんだが。」
 克己はぬるい笑みを浮かべている。
「私が返せることならば答えましょう。」
「卯月という子は?」
「…あまりに不手際。役に立ちえぬ者は要りませぬ。」
「君は誰についている?俺たちは知っているのか?」
「私は主の物。主に関わることは全て主の仰るままに。」
 克己はしばし黙る。変わらず笑んでいる椿に克己は問う。
「何故一斉に仕掛けてこない?今なら殺せるだろう?」
 この一言にさすがに全員がぎょっとした。椿すら驚きに表情を作り忘れる。ただゆっくりと、だが今度は少し優しく、
「存じませぬ。全ては我が主、方々の御心。ただ主の代わりの一つだけ申し上げましょう。」
椿は自分の心に伝わる将大の楽しげな気配と声を聞き、言う。
「強くなられますよう。主は強い方を好みます。我が主を落胆させぬようになさいませ。」
 再び陽炎が揺らぎ消える。後には少しばかり緑を増したような錯覚をさせる草原。小さく息を吐くと克己は振り返った。
「戻ろうか。」
 いつもの優しい笑顔だった。





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 椿篇。
 わかっている人は本当にわかっているでしょうが(寧ろ画面の前で笑ってる?)、椿がラーハルト。
 呪いは少し呆気なかったでしょうか?でも、ここで捕まったら話にならない。
 ………克己と彰のいちゃつきぶりをお楽しみください(笑)