雪乃の秘め事。策士の合流。






 扉を開けるとすぐそこは土間になっていて、雪乃は土間にうずくまっていた。遼が予想したとおり、彼女は泣いていた。「姉上…」と、か細く呟き肩を震わせて泣いていた。
「おい。」
 遼が声をかけると雪乃はビクッと反応し、慌てて着物の袖で顔を拭いて振り返った。
「あ、な、何か御用ですか?」
 そう言われて遼は返す言葉を探していた。心配だから見に来た、などと口が裂けても言えない。
「その、お前が…」
 やっと一言呟いてそれから続ける。
「お前が一人で茶を運ぶのは大変だろうと思って…それで」
 手伝いに来た、とでかい図体に似合わない消え入るような声で言った。顔が真っ赤である。
 雪乃はそれを見て吹き出しそうになるのをこらえていた。
 きっとこの青年は自分を心配して来てくれたのだ。
 けれどそれを真正面から言えず『手伝いに来た』と口実を作っているのであろうことは雪乃にもわかった。
「天馬殿…だったか。」
「ああ。」
「感謝する。」
 雪乃は最初のような慇懃とも思える口調で言って微笑んだ。
「お主には姉上のことを話しておこう。」
 遼は雪乃と板敷きの廊下に座り、湯が沸くのを待ちながら彼女の話を聞いた。
 雪乃の話を要約するとこうなる。
 雪乃の姉は晶子という名で近隣では有名な巫女であった。姉といっても義理の姉で、雪乃は東桜神社に養女として連れてこられたという。
 一年ほど前に養父母が亡くなったが二人でなんとか生活をしてきたらしい。
 ところが半年前、神社に大伴氏の末裔だという貴族がやってきた。大伴氏といえば古くは飛鳥時代から栄えてきた貴族である。八二三年に氏を伴と改めたが、八六六年の応天門の変で伴善男が流罪になってからは衰退の一路を辿っている。
 ともかく、その貴族が晶子に祈祷を頼みに来た。
 二人は不審に思った。地元ならいざ知らず、京の貴族がわざわざ武蔵国くんだりまで来るのだろうか、と。
 しかし晶子は受けた。四神の御子の伝承は一部の者にしか伝えられていないのだが、やってきた貴族はそれを知っていたからだ。
 雪乃は反対した。晶子が京都へ行ってしまうことへの寂しさもあったが、何よりその貴族は怪しすぎた。晶子もそんな気はしていたのかもしれないが、雪乃を置いて京都へ行ってしまった。
「あのとき泣いて姉上を止められるのならば、一生分の涙を流してしまっても良いと思った。」
 そう雪乃は語る。そして彼女は止められなかったことを後悔することになる。
 一月前に晶子から文が届いた。その内容は恐ろしいものだった。伝承には続きがあったのである。
『四神の御子が央の君に従うのは選ばれし君と勾玉の力によるもの。勾玉のみ揃わばその力、勾玉を揃えし者の願いを叶え、混沌は広がるなり。』
 大伴氏の末裔を名乗る貴族は勾玉集めを目的とし、力のある妖怪・鬼を集めているそうなのだ。
 晶子はその企みを知り屋敷を抜け出そうとしたが警護が厳しいためにそれはできないという。そのため、雑色に金を握らせてこの文だけを雪乃に届けたのだ。
「姉上は、自分はきっと武蔵国には戻れないから私が四神の御子をお導きしろとお書きになっていた。私は神力も心力も強いから大丈夫だ、とも…。姉上がいなければ何もできない小娘だというのにな。」
 雪乃が自嘲気味に呟くと、また彼女の瞳から涙が落ち始める。
 遼はどうしていいかわからず、とりあえずハンカチを探したが見つからない。かなり迷った挙げ句、親指の腹で雪乃の涙をぬぐった。
 遼が触れた瞬間、雪乃は驚いたようであったが何も言わなかった。ゆっくりと遼が手を離すと雪乃はぽつりと言った。
「文のことを…姉上のことを話したのはお主が初めてだ。」
 それを聞いて遼は雪乃の横顔を見つめた。まだ一五、六の高校生くらいの顔立ちである。こんな少女が世界の混沌とやらを鎮める四神の御子を導くという大役を背負っているのである。しかも一人で。
 そう思うと遼の胸は急に落ち着かなくなってきた。
「天馬殿。」
 雪乃が遼の方を向いた。
「…遼でいい。」
 遼はボソッと言った。雪乃はほんの少し困った顔をして、しかしすぐに嬉しそうに笑った。
「では…遼。お主に話せてなにか気が楽になった。感謝する。」
 ああ、と短く遼は答えて、お茶を入れる準備をする雪乃をぼんやりと見ていた。
 央の君も大変そうだが、この少女はもっと過酷な運命に巻き込まれるのではないだろうかと遼は根拠もなく思った。


 ふふふ。
 小さく聞こえてきた笑いに、びくりと肩を震わせた五人。
 音の発信源は言わずもがな、というものであろう。
「ど、どないしたん?浩多」
 恐怖に打ち勝った訳でもないが京介が代表として口を開いた。左のこめかみがぴくぴくと動き、腕で脇腹をかばうような体勢をしている為、微妙に左へ体が傾いでいる。左側にいるのは竜馬。
「ううん。ただ、うまいなあと思って。」
 やっぱり裏のない思いは強いんだ、この言葉は浩多の口の中だけにおさめる。
「うまいって」
 誠がたしかにうまかったよなあ、などと呑気に言う。
「聞き出したっぽいね。まあ遼さんにはそんなつもりないんだろうけど。」
 ふふと浩多は再び笑い、「あ」俯き加減だった顔をふいと仰向けた。
「お」「え」「な」などと各々が思い思いに声を出す。
「京介さん」
「なんや?」
「似てるね。」
「そやな」
「でも」
「ああ、ちとちゃうわ」
 二人は探るように視線を合わせ、立ち上がった。


 ポキリ。バキ。パキン。ボキ。
「これは?」
「あ、大丈夫です。」
 ポキ。バキン。
「おい。」
「はい。」
「これは?」
「うーん。ちゃんと火がとおれば…」
「なら拾っておこう。…こっちに入れて。」
 星史は着ていた上着を脱いで簡易の入れ物を作る。
 真人は手にいっぱいの薪を持ち、真美子はさして注意のいらない木の実やキノコを持っていた空のカバンに入れていた。
「要るのか。」
 渋るような声をつい真人は出した。この中で何も荷物を持っていないのは星史ひとりだった。
 理由は彼の持っている強さだ。要するに、何かしらの攻撃を受けた際、すぐに反撃にはいるためだ。
 何も持たないと言った星史に文句を言った真人は盛大な皮肉を含んだ言葉の羅列とその正論に押されたのは言うまでもない。
「どうなるかわからないんだ、食料は多い方がいいだろう。よく食いそうな馬鹿はいるし。あとはポイントでもつければいいだろ。」
 また、激流の如く流れるかと思われたが、星史はそれだけに留めた。
「…誰が持つんだよ。」
「俺だ。」
「さっき言ってたのと違うけど。」
 真人は必死に反撃を試みる。別に自分が持つわけではないのだから、そんなにつっかかる必要はないのだが。
「だから重要度の低いのを持つんだよ。投げ捨てたって、特に無駄にしたって気がしないだろう。真美子。」
 星史は視線を真美子に向けた。彼女は必死に聞かないふりをしつつ、木の実を拾っていたのだが、名前を呼ばれ、顔を向ける。
 呆れた色を星史の目の中に見つけ真美子は僅かにひるむ。
 やっぱり苦手だと思うのだが、彼女は知らない。世の中には表情の一切を隠し、そのような人物の方が精神的に怖いのだということを。
「光ってるよ。淡く。」
 星史の指摘に真美子は慌てて自分の体を見た。
「いつぐらいからでしょう。」
「少し…五分くらい前からかな。」
 真人は驚いたまま言葉もない。一度盛大に光った彼女を見ておきながらまだ慣れないらしい。
「また、さっきの子が来るのかな…」
 不安そうに呟いた真美子に、
「来るんなら援護をつれてくるだろうな。」
真美子の目にじわりと涙が浮かんでくる。
「んで、そんなこと言うんだよ!」
 真美子の涙に動揺した真人が星史に叫ぶ。
「可能性があることをわざと無視してどうするのさ。楽観視ばかりして実際に何かあったときに慌てるのは負けを呼ぶんだよ。最悪を想定しておいた方がいいだろう。」
「好きだな。その考え。」
 やはり歩音をさせない浩多が木の陰から出て来た。昨年の冬に落ちた葉はまだ微生物に分離されきれてはおらず、踏み出せばさくりと音をたてる。
「誰?あんた。」
「初めまして。僕は杉本浩多、高三です。」
 そう言いつつ、右手を見せる。淡い黒を帯びた勾玉を。
「なんだ…」
 真人と真美子は緊張を解いたが、星史の臨戦態勢は未だ崩れない。臨戦態勢といっても別にいかにも攻撃をしかける、というようなものではなく、いつでも攻撃に入れる立ち方、のようなものだ。
「向こうに僕らの方で知り合った八人が揃ってるんだけど」
 浩多はにこにこと笑う。
 真美子と真人は浩多の方へ歩き出し、真美子は星史に腕をとられた。
「えっと…星史さん?」
 腕を捕まれた真美子は当然止まり、真人もあわせて止まる。
「あんたたちさ。さっき俺が言ったこと忘れた?こいつ、浩多が本当に仲間かなんてわかんないんだってこと分かってる?」
「え?でも…今…。名前だって…。勾…玉…もある、し…」
 とまどいつつ、しどろもどろに真美子は言い、星史の目を見た。
「いい?今がいつぐらいだとかわかんないけどね、姓も名前もたいていの時代ではあるんだよ。勾玉こんなものだって、さっきの卯月ってやつみたく消えることができるんなら、ダミーぐらい作れるだろ。俺たちの言葉聞いてれば言えることだってあるだろうし、本当に仲間だとしても嘘ついてる可能性もある。そもそも浩多が操られていることもあるかもしれないとか。あんたたち、もっといろいろ考えてる?」
「あはは。結局どう思います?」
 ひどいことをさんざん言われながら浩多の笑顔は揺らがない。
「そんなの決まってるだろ。」
 星史はにやりと笑んだ。
「本物。」
 浩多はふふと笑うだけ。
「名前、教えてもらえます?」
「椎橋星史。星史でいい。」
「星史さん」
 浩多は確認するように繰り返し、「行きましょうか」と促す。
 星史も今度は普通に歩き出す。
「あのっ!」
 真美子は声を振り絞った。話が見えない。
「なに」
「さっき星史さんが言ったのは嘘ですか?」
「はぁ?何言ってんの?真美子。本当に決まってるだろ。」
「で…だって、今…!!」
 星史はふうと溜息を吐き、首だけ振り返っていたのを体ごと向きを変えた。
「あんなにさんざんに言われても笑ってる奴がそう簡単にいるわけないだろ。」
 まあ北沢なら平然としてるだろうけど、というのは胸の内だけにしまっておく。
「普通なら怒る。偽物なら怒るか慌てて弁明する。あれだけ言われて飄然と笑ってるのはね、相当な曲者ぐらいなんだ。そんなのが操られるだとか間抜けなことするはずないだろ。
 それに、あれはそういう心構えを忘れるなってことだよ。初めからその可能性を考えていたのといなかったのではどれだけ行動とか心理に差が出ると思う?」
「非道いなあ。それとも信用ですか?」
 相変わらず本心の見えない笑顔だ。
 星史はそれには答えず。
「ほら行くよ、二人とも。」
「あいつらは」
「向こうの場所を知ってから迎えに行けばいいだろ。」
 星史は再び真美子の腕を引く。少し歩くが、やはり浩多の足音は聞こえない。木立の影から茶色の髪が見える。染料で変えられた人工の茶。
「あそこ?」
「そうです。京介さん、彼女が央の君、真美子さんだって。」
「おお、そか。よろしゅうな。俺は京介いうねん。ま、内に入ろか?いくらなんでも寒ぅなってくるやろ。お茶も入れとるさかいに。」
 引き戸をさっさと開けると内に招き寄せる。
 星史も手を離していたから真美子は招かれるままに足を踏み入れ、不意に星史を見た。問いたそうな眼差しで。
「入れば。真人、薪はそこらに置いとけばいいよ。お前も中に入ってな。」
「星史さんは…」
 戸の前で立ち止まり指示を出す星史に真美子は不安そうな声をかけた。
 何だかんだ言いつつ、ここで一番頼りになるのは彼だ。従兄の克己がいない時は。その克己が星史は大丈夫だから彼に任せておけと言っていたのに。
「俺は残りを連れに一旦戻る。そろそろ待ち合わせの時間になるから北沢たちも心配するだろ。全員入るか?」
 浩多に最後だけ向ける。
「大丈夫だと思いますよ。」
「ほんまかいな。」
 京介のつっこみを浩多と星史は黙殺する。
「無理でも。」
「無駄に元気なのは外でたき火でいいだろ。」
「そうですね。」
 浩多は同意する。身近で聞くはめになった真美子も真人も、当然京介も冷や汗が流れる。
 黒いんがふたりになるんかい!
 京介は半瞬天を仰ぎ、
 自分は大丈夫だろうか―こいつらは絶対内だ!
 真人と京介がそう思ったのは間違いない。





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 というわけで前半は遼が優しいという話でした。
 後半は策士が集まると怖いということ。これに克己が加われば三強(三恐、三凶、三兇)がそろいます。