眠りから浮上する意識がよく馴染んだ気配を捉えた。
「お前たち、人には仮眠を取らせるくせに自分たちは眠らなかったのか?」
体を起こしながら寝乱れた髪を手櫛で直し、覚醒したてとは思えないほど明瞭な声を出す。
「仁はお帰り。お疲れ」
戻ってきていた仁に労いの言葉をかけ寝台から出る。伸びをして室内にいる3人に改めて視線をやった。萩之介が夏依の仮眠用にと確保したのは王宮内にある客室の一室だ。
「俺も跡部も阿久津も仮眠はきちんと取ったよ。ソファは2つあるから一応一人は見張りに残して」
水を差し出しつつ、萩之介が夏依の認識を訂正する。それでも夏依から胡乱げな眼で見られて苦笑した。寝る前にゆるめた首周りを整えながら更に説明を求める夏依に景吾が応じた。
「お前を眠らせて半時間くらいで阿久津が戻った。俺たちはそれで仮眠を取ったんだよ」
仁がそれに頷いて漸く納得した夏依に、そんなに信用がないのかと低く唸った。そういうわけではないが、と夏依が苦笑する。景吾と仁が各々ソファに陣取っており、夏依を空けておいた椅子に誘ってから萩之介は座っていた椅子に座り直した。
予定の時が満ちるまで、もう暫しある。動き出しても構わないが、少しこうして話をしていても問題はない。
「だからといって、薬を盛るか」
時間的に余裕があるため、夏依はあきれた様に気になっていたそれを言った。
夏依の本質は剣を持つ者である。騎士というのとも、戦士というのとも違うが、剣を持ち、必要であれば振るう者なのである。戦いをよしとする性格ではないが必要であれば躊躇うこともない。
その夏依が、剣を握る者としてかなりの腕前を持つ夏依が、いくら慣れ親しんだ相手の気配だとしても気づかずに眠り続けることはない。しかも今は作戦の途中であり、まだ目的は完遂されていない状態の仮眠で、である。尚のことありえない。それを過信ではなく知っている夏依からすれば何らかの薬を盛られただろうことは確定事項であった。
「ごめん」
否定することもなく、あっさりと謝った萩之介に景吾と仁が驚いた目を向けた。目を覚まさなかったことをいぶかしく思ってもそこまでやるとは思っていなかったのだ。
「でも、問題はないと思うよ。効果の持続がきっかりしているおじいの特別性なんだ」
2,3日眠れる時間が取れないかもしれないから、ぐっすり眠ってもらおうと思って。
翳りもなければ、当然悪意もなく、はんなりと笑ってみせた萩之介に困ったような嬉しいような、なんとも複雑な微笑を夏依はした。
「老翁殿に?わざわざ頼んだのか?」
「夏依が呑むものだよ。わざわざでもないし、当然だろう?おじいも他に任せられるかって」
小包を見せ、これが1つで1時間分だと夏依に手渡した。
「夏依に焦点を絞っているけど、俺たちでも大差ないだろうって」
ランプに透かすように包みの中の粉末を見ている夏依に微笑ましいものを感じつつ、萩之介は秘めていたことを開示した。
「仮眠のときに夏依に飲ませた水に5時間分の薬を混ぜたよ。おじいに依頼したのは6時間分。それ以外にないから安心してくれていい。おじいに言えばまた調合してくれるけど、夏依が無茶をしなければ俺は頼まないと誓うよ」
それは逆に無茶をすれば有無を言わさず、可能性に思い至る前に薬を盛ると、そう萩之介は言っているのである。
それがまだ、凄みを利かせて言われるのであればいい。脅すように言うのであれば、夏依を守ることを旨とする仁は萩之介に相応に対応すればいい。だが、こうも笑顔で、しかも確固としたものを持って言われるとどうしようもない。何よりも、萩之介には夏依を害する意思は欠片もなく、寧ろ夏依の為に、なのだ。
性質の悪さは萩之介が誰よりも上だと仁は認識しなおした。周助はこういうとき、まだ感情的になる。感情的になった相手は御しやすい。周助が相手ならまだどうにかなっただろうが相手が悪かったなと思いながら、仁は小包を見るようにして遠い眼をしてしまった夏依を見やった。
「萩」
「俺は。夏依が無茶をしない限りはいつだって夏依の味方だよ」
だから公的な立場には就かないように裏方に徹するのを選んでいるのだ。公的に扱う剣ではなく、夏依を守り助ける懐刀。その立場を望んだのだ。名はなくとも実力があればそれはそのまま公的な力も有することができると知っている。
強かにならないと、と萩之介は思う。夏依を思う多くのなかでその立場と力を望むのであれば、強かに己が得手とするものを最大限に利用しなければ意味がないと。
「……心強いな、萩」
萩之介の笑顔に、萩之介の決意を透けて見せられて、夏依はそう言った。それは嘘ではない。本当に心強いと思うのだ。あらゆる意味で。
「そろそろ行くか」
夏依の覚醒にあわせて開けられたカーテンから黎明を見て、いい具合だろうと知る。立ち上がりながら遊ばせていた睡眠薬の小包を萩之介に返した。
「委ねる」
一言。信頼を込めて。
「周助からだ」
一番先に出ようとする夏依を呼び止めるように、預かったまま伝えていない伝言を口にする。その間に景吾が扉を開けた。誰も彼もが気配に聡く、腕の立つ彼らがいる部屋には新たな国家を築くに不可欠な新国王とその側近がいるというのに外に見張りの一人もいない。
「『細工は流々仕上げを御覧じろ』だそうだ」
聞いて、夏依は満足そうに眼を細めた。
「なら、仕上げを見せてもらおう」
先に出た景吾が念の為に確認をしたのを見て、やわらかな口調で萩之介が言う。そこに喧嘩を売るような色はない。夏依に対し、周助がそう言って寄越した以上は慥かな自信があるのだと皆知っている。
「ああ、行こうか。リスクを負ってくださった方も待っているだろう」
謁見の間に夏依が足を踏み入れると、僅かにざわついていた空気がぴんと張る。敬礼する近衛兵に頷きながら足早に夏依はゴールド・ブラウンの髪の男性に近づいた。
「榊公爵」
「夏依殿。成功なさいましたね」
榊、と呼ばれた初老に入ったばかりの男性が親しげな笑みで応える。
「詰めがひとつ、残ってはいますが」
「頼まれたとおり、王都の手前に控えさせています。率いて来るのであれば迎え撃つようにと」
ふたりの間で聞こえれば十分な声音で言葉を交わす。
「受け持ってくださって感謝しています。小父さま」
いちばん近くにいる仁にも聞こえないように、そう囁いた。
「夏依が望むのなら、このくらいの力はいくらでも貸そう」
榊もまた、囁くような小声だ。
これは本当に、内々の秘密である。否、当人である榊以外の誰にも言ってはいない、知らせてはいないことだ。榊に頼んだ兵はいざというときの保険だ。血統重視の貴族が夏依の即位を前に王都に向けて挙兵してきた際に、迎え撃つためのものである。夏依が敷いた策が形をもつ前に攻めてこられたときの対策だ。だが、それまでは榊に言ってはいない。すべてを知るのは夏依だけだ。
榊と握手を交わした夏依から流すような視線を向けられ、仁は自然な足取りでテラスの方へ向かう。仁が離れたことですぐに護衛として体をはれる者はいなくなってしまったが、ここにいるのは夏依に賛同した文官・武官に近衛兵たちである。王子・王女についている女官長の姿はないが、何人かの侍従がおり、橘や精市も当然いた。何事かあっても、対処に困ることはない。
明けの近い、薄闇の刻だ。
静かなその時間に榊の低い美声が文官の一人と話していた夏依を呼んだ。
「夏依殿。先ずは践祚なさいませ。王位にお就きあそばして、国民皆々に御身お見せくださいませばよろしいかと存じますれば」
「榊公爵。私は現王制を継ぎたいのではないのです。私はこの国に住む皆に認めてほしいのです」
先ずは国民の承認が欲しいのだと、やさしげな笑みでやんわりと夏依は榊を制す。それを何処かで客観的に見ながら、矛盾しているなと夏依は心のうちで呟く。近衛兵や必要な場面であれば既に新国王として号し、振舞っているというのに。
国王王位剥奪す。の報は暁が上るより先に王都・ヴェストファーレン中に伝わるようにし、事実伝わっているはずである。遠方の領地には国王を押さえるなり走らせた。流石に今日明日での遠方の領主がおとなうことは無理だろうが、ヴェストファーレンにいる者なら、こちらの意志に賛同するのであれば、そろそろ声が集まるのだ。逆の者たちは反逆の準備もしようとするだろう。どちらも動くのならば、賛同する意志を待ってから動きたいというのが夏依の望みだ。
「御意に。ですが、夏依殿?彼の王を逐い、ご自身が王位に座すことは既にご覚悟のことのはず。確とするまでお待ちになられずとも、人心は陛下のものといえましょう。
確かめるための手札とて、既に放っておられる」
ならば今でも、と榊は言う。陛下、と呼び名を改めて、その意識を促す。決まりきっている心を、榊は夏依を知っている。
「私はまだ、侯爵家の跡継ぎの身に過ぎません」
夏依はやんわりとした微笑のまま思ってもいないことを口にする。その身分は既に捨てたものだ。それも彼は知っている。
「お聞こえにはなられませんか。陛下を望む、此処に集まった者の声が」
「夏依!バルコニーに出ろよ。スゲーの。みんな夏依を待ってる!!」
謁見の間に飛び込んだ慈朗が喜色を露に叫んだ。共に王宮に登ったのだろう周助も満足げだ。入り口側を警戒していた近衛兵とは逆に、バルコニーにつながる窓の方で姿が見えないように警護していた仁は先に知っていたのだろう。慈朗に腕を引かれる夏依の肩を喜びと楽しさを混ぜた力で祝福する。
夏依が外に一歩踏み出せば、溢れんばかりの新王万歳の声だ。
「戴冠の儀は神官長を呼んでバルコニーにて至急に行いましょう」
ゆったりと微笑を浮かべた夏依に榊はそう囁き、控えていた近衛兵に指示を出す。
歓呼の声が王宮内にまで響くのを内実は不思議に思っていた榊はなるほどと納得した。夏依と共に王宮に攻め入らなかった彼の手札が報を街中に広め、夏依に対する好意の渦が高まる頃王宮へと扇動し、かねてよりの計画通り内側の兵と呼応して門を開けたのだろう。
反対派の気勢を殺ぐために。いい手だと榊は笑った。榊に頼んでこととこれと、どちらも攻めさせないのに十分な手だと心のなかで夏依を褒める。こうして王宮に入った国民と歓呼が夏依の正当性をうたうのだ。よほど愚かな相手でなければ、こうなった以上夏依を敵に回さない。そして、その愚かなものでは夏依に勝つことはない。
従卒の一人に榊は兵を領地に帰させるようにとの命令を告げた。心配を見せる従卒に問題ないと頷く。
バルコニーに一歩踏み出した位置にいる夏依を見やり、静かに満足して微笑む。どおりで夏依が榊の進言に諾と言わなかったわけである。彼はこれを待っていたのだ。夏依ひとりで策を弄した、見守っていたその成長を嬉しく思う。
やさしげな微笑で、見える限りの人々を見、来ている人々にわかるように前まで進み出る。
東の地平線から昇る朝陽がバルコニーの欄干に触れるまで近づいた夏依を照らす。
始まりを告げる陽に照らされた夏依は、浮かべている表情は勿論、姿だとて王宮に最も近づいている者たちにも眩しくて見えないだろう。
夏依と榊の狐と狸な会話に口を挿まなかった景吾たちは、迎合される夏依と迎合する人々の双方を視界に入れられるようにして、背を壁に預けてその姿を見ている。
長かった年月は今ここで叶い、終わり。そして今ここから長い未来は続く。すべてが、本当の望みが始まるのだ。
感無量であり、貪欲に望み、造り上げる世界の始まりが。
王宮内にある神殿から守られるようにして王冠を大事に戴き持って来た最高位の神官長が夏依の待つバルコニーに足を踏み入れると、爆発的だった喜びが更に大きなうねりと化して、増す。
如何にしてこの国の者たちが新たな為政者を心の奥底では待っていたのかを表す歓声を、夏依は片手を小さく上げるその動作で静めた。
耳が痛くなるほどの沈黙のなか、全員が固唾を呑んでその瞬間を待った。
正面に立った神官長の前に、夏依がゆっくりと膝を折る。正装衣ではない、国王を逐った黒一色のままだったが、その姿は凛凛として涼やかで威風堂々と立派だ。神官長は最高神に代わり新たな王を認め、その存在と治世を祝福する言葉を捧げ、恭しい仕草で夏依の頭上に王冠を戴かせた。
先ほどの比ではない喜びが、爆発して新王万歳を叫ぶ。
この瞬間。
ウェストファリアに脈々と流れ受け継がれた王家の血を引かぬ国王が誕生した。
物語は、今ここから、もう一度始まる。
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一応次のepilogueで1章はラストです。後はこの章に入れられないのや即位後5年間を番外編で。
4章はネタはあるんですが。2,3章がビミョーです。とりあえず、王立学院の親友との出会い編くらいはがんばろうと思います。
では、短いですがepilogueどうぞ。