夜の闇が深まる深夜。
城壁の篝火と篝火との間、更に闇が濃くなる辺りで十二人の人間が潜んでいた。各々黒の目立たない服装ではあるが、半数を数える人間は近衛兵団の名を知られた者たちだ。手引きする者がいるのだから気配を消してそうしている必要はなさそうなものなのだが、念には念を、だ。失敗は決して許されないことである。
「夏依」
約束の時間まで後二十分ほどだろうという時だ。
「何だ?景吾」
囁くような声に夏依も囁くように返した。城壁に背を預けて腰を下ろし、彼らを中心に据えて近衛が前後にいるような形だ。近衛の面々は勿論、萩之介や仁、仁王も黙ってふたりの会話を聞く構えだ。
「夕方のことだがな。本気で無血開城ができると思うか」
一時解散した後からずっと考えていたのだろうかと思う。わかっていたからこそ、考えてしまったのだろうと夏依は思う。
「―――――無理だろうよ」
「おい」
自分から訊いておきながら、いざ夏依が答えると景吾は諫めるように低い声を出す。他の面々が先の話との差に不審を抱かせる可能性を思ったのだろう。
「若し、本当にそれが出来たなら、それは、文官・武官の心が須く王から離れ、愚者の群が身も世もなく無様な命乞いをしたときだろう」
「そうか」
苦い、表情だ。夏依の表情も声も苦い。
「然もなくば」
「夏依」
苦い表情に反して青灰の眼は炯炯と鋭い。
「国を負う意味をあまりにも理解していなかったんだろう。人の命のために剣を握り、血を被る覚悟が、なかったということだ。
城を攻め奪い、王を逐い捕らえ、世を新しく築くには流れる血が少ないほど意義がある。だが、支配者はそのなかで血を被りながら生きていくものだろう。国民のために最終的に責を負ってみせるものだろう」
ふ、と夏依は短く息を吐いた。声は小さいままだったが、そこにある力は大きかった。籠められた意志は強かった。
「無理だと言うには早いんじゃないかな、夏依?」
剣を握る右は無意識に避けたのか、かたい左の拳を、やさしくだが強引に開きながら萩之介は、夏依がそれ以上くだらない相手の所為で傷をつけないよう、自分の手を滑り込ませた。
「無血開城くらい、やってみせよう。今、城にいる近衛兵は俺たちの味方で親王派はいないんだよ?内部に俺たちに共感している人たちも、半分にはいかないけどいるしね。入れば、こっちにつく人たちが内部でもやってくれるよ」
くい、と口端を萩之介は上げた。この首都・ヴェストファーレン内、この国・ウェストファリア内で、萩之介に集められない情報はないといっていい。伊達に流通の要を握っているわけではないのだ。
そして、守るべきものを除外したただ単純な戦術だけを見たとき、最も冷徹に判断を下せるのは萩之介だと、夏依も景吾も認識している。
「夏依。向かってくる相手を刃で切り捨てなければいい。剣の腹で。柄で昏倒させてしまえばいい。殺さずに戦えるのだけを、夏依?選んだんだろう。そのためのこの少数であるはずだよ」
違ったかい、とやわらかな声で萩之介は言った。
「夏依、てめぇが言ったんだ。理想を掲げられなければやっていられないってな」
眉を上げ、忘れたわけじゃねぇんだろ、と景吾は鼻で笑った。
夏依より視線を向けられ、眉を寄せた。
「大丈夫か、なんて訊いてこられたら夏依さん相手でも怒りますよ。俺たちは貴方が無駄な血を嫌うことを百も承知でいるんです。見縊らないでください。俺たちは初めからそのつもりですから」
若が呆れの溜息をついて、当然だろうというように答えた。
三者三様の言い様に呆れるのは俺だと思いながら、徐に夏依は立ち上がった。そろそろ時間である。かたくなった関節を伸ばしだすと他の面々も立ち上がり、各自、体をほぐす。
ちらりと仁に眼で尋ねた。楽しげに口角を上げて応えられ、ならばいっそと夏依も覚悟を決める。出来ないと本当に思っていたわけではなく、より確実性を狙いたかったにすぎない。その後こそが大変で妥協と付き合っていかなければならないのならば、これぐらいやってやろうと思い直す。若し、殺すことになっても、被るのは夏依だ。ならば構わない。
「真剣で殺さずに戦うのは骨が折れるぞ。出来ると言ったからには仕切ってもらおう。ただし、自分が傷ついてまでも守りとうそうとはしてくれるなよ」
念を押すように告げれば、皆とりあえず同意して返す。果たしてそれが守られるかどうかが問題なのだが、本人たちに気をつけてもらう以外に手はないのだ。
「じゃ、いくか。大門」
亮が言って先頭に立ち、長太郎、黒羽、天根、橘の近衛兵軍の面々が先行し、夏依、景吾、萩之介、仁、仁王で纏り、殿を若と精市が務める。1列にはならず、2列ほどで駆けた。
夜には閉じられている大門の脇にある大人の身長より少し大きめの扉を亮は一定のリズムで叩く。
「宍戸か」
「ああ。時間だろ」
音をなるべく立てないようにして南が扉を開けると、順に滑るように中に入り、同様に静かに閉めた。きちんと中に入れられたことにほっとしつつ、南が視線を彼らに向けると見られていて思わず驚く。
「南、中は?」
「あ、ああ。大丈夫だ。誰も、うちの奴らはお前らの邪魔はしねぇよ」
夏依に問われ、南は自信を持って力強く頷いた。王宮までの道のり、入り口、要所等とあちらこちらと配置しているのは南が率いる近衛兵軍第一軍隊第二連隊の面々で、大・中・小隊長から一兵卒まで夏依の味方をする者たちだと南は言える。
「滝から聞いた王宮内の親王派の武官の今夜の居場所までは東方が案内する。王宮の門のところで待ってる」
「ああ。助かる。後の手筈は任せた」
感謝をそのまま力に変えて握手を交わす。
「しくじんなよ」
「人の人生を預かって、負ける喧嘩は仕掛けんよ」
手を離しながら言い合って、南はその場でそのときを待ち、夏依たちは王宮・王を逐いに走っていく。
夏依たちの後姿を見送る南に、同じ場にいた兵の一人が声を掛けた。
「南連隊長。本当に、本当に、あの…」
まだ入隊したばかりの若い兵は言いよどみ、口を噤み、吃と己を鼓舞したように顔を上げ、声を憚って問い直した。
「南連隊長は本当に彼らが事を成し遂げるとお思いですか」
「当然だろう。思わなきゃ、部下を巻き込むようにはしねぇよ」
真顔で答えてやって、南は笑ってみせた。
「そういう意味では隊長はさっきの方と同じですな」
大門の守りを任せる、中年に差し掛かった南の信任も厚い大隊長に言われて、いやいやと南は首を振った。
「俺はあいつほどの器じゃねぇよ。俺は失敗したときだけだが、あいつは失敗は勿論、あいつには関係のなかったはずのも、成功とそれだけではありえない業苦も全部、あいつが背負うんだ。責任も何も誰もかも。これからも。
って、橘司令官、幸村副司令官が仰っていた。自分たちの誰ともその器が違うのだと」
言われて兵士たちは黙った。
「俺は現状に不満はあっても自分で変えるために動こうとはしなかったと思う。でも、あいつは動けるんだよな、自分のためじゃなく。それを思わなくても、俺も敵わないと思う。何しろ、司令官・副司令官もそう思われてるんだから」
凄いのだと思っている、と結んだ南に大隊長は疑問を口にした。
「隊長。何故、自分のためではないとわかるんです?」
「そりゃそうだろ。あいつはこのままが続いても何の問題もなく生きていけるんだ」
認識の差異にあれ、と南は呟いた。
「知らなかったのか」
頭をがりがりと掻いて南はその場にいる兵士たちに言った。
「あいつは、俺たちの旗印は朔宮侯爵家の後継だよ」
その頃、王宮に向かった面々は既に二手に分かれていた。門から城までにそれなりに距離があるとはいえ、職業軍人として近衛兵軍に属する彼らと、貴族の嗜みといつか来るこの日のために己を鍛えることを疎かにしなかった彼らにとっては如何ほどのものでもない。
橘率いる近衛兵軍と仁王は、東方が連れた一小隊とともに王宮の表部分、王宮に勤める武官や、伺候しに来た領主・貴族が一の郭や二の郭に帰らずに王宮に泊まるときの一棟の方に来ていた。その一棟は回廊で王宮につながってもいる。
兵士としてというよりも細作のように足音を殺して忍び寄った彼らは、打ち合わせどおりに更に二手に分かれて部屋に踏み入った。その部屋の相手は親王派として名高い武官と領主だ。まずは中心となる者を縛り上げようというのは始めからの打ち合わせだ。
掛かっていた鍵は鼻歌でも歌いそうな手軽さで、鍵が開くときの音もさせず仁王が開けてみせた。明かりなどは一切持たず、忍びやかに部屋に入る。カーテンの閉められた室内は当然の如く明かりがないのだが、入った者たちはすいすいと歩いてみせる。それは別に見えているのではなく、体に室内の家具の位置を覚えさせたからだ。故に東方が連れた小隊は今は他の扉の前で誰かが出てくるなり昏倒させるために息を潜めていた。このためこの小隊は遊撃が得手な肝の据わった面々である。
一分一秒が長い。彼らが親王派を捕らえて出て来るのを兵士たちは粛々と仁王は飄々と待った。一兵卒には入ることが出来ず、近衛兵ではない仁王はそもそも王宮内に入れなかったからだ。
廊下の明かりを入れないために閉めておいた扉が静かに開いたとき、彼らは一様にほっとし、次いで笑みを押し殺した。人柄は褒められずとも武勇で名の知られた人が寝衣で縛られ、猿轡をかまされた姿は、非常に情けなく、そして笑いを誘った。根性で喉に笑いを押し込んだ荒技は是非とも褒めてほしいと思ったほどだ。だが、奴らのあまりに怨怨とした表情に耐えたくなく、仁王は問答無用で首に手刀を落とす。
「仁王さん!」
くたりとしたのをそのまま廊下に転がさせた仁王に慌てて長太郎は名前を呼んだ。
「いーんだって。喋られたら五月蠅いだろうから猿轡。顔でも煩いなら気ぃ失わせる。当たり前のことじゃろ」
仁王の言葉にうんうんと兵士たちが頷き、亮も認めていて長太郎の肩を叩く。口を挿まないあたり橘も同じ意見と見ていいのだろう。実際、意識のある人間を見張るよりも意識のない人間を見張るほうが楽でいい。特に彼らのような人間を相手にするならなおさらだ。それに、そう長い時間ではない以上、見張りの途中で下手に意識をゆるむこともない。
「よし。手筈どおりいくぞ。仁王」
名を呼ばれ、ひょいと肩を竦めて扉の鍵に道具を差し入れる。これからは仁王が鍵を開けるのと同時に3人一組で中に踏み入り、出来れば声を出させずに気を失わせてここに並べていくのだ。犯罪っぽいな、と仁王は思い、失敗すれば国賊だったなと思い直す。いざとなれば逃げる自信もあるし、夏依が自分たちなら逃げられるような抜け道をつくってくれていることも知っているので、特に気にしてはいないが。
声を出させることは勿論、殆ど抵抗さえさせることなく、彼らは全員を縛り猿轡をかませ転がした。この間に掛かった時間は僅かに三十分ほどだっただろう。迅速さが何より重要な仕事ではあったが、そのあまりの手際のよさに真面目に犯罪者になれそうだという感想を思わず全員がもってしまった。
「朔宮たちは大丈夫だろうか」
考えてしまったことをなかったことにするように、橘は言った。
「夏依ならばやりますよ、司令官」
「そうですよ、橘司令官。夏依先輩ならやるに決まっています」
自信をもって応えたのは、夏依と王立学院を共にした二人で、残りは信じたいというように黙っていた。
彼らが二手に分かれるときまで、時間を巻き戻そう。
「気をつけてくれ」
橘たちが東方と小隊と王宮から回廊一本でつながる一棟の方へ向かうのを見送り、夏依は精市と若に向き直った。
「案内を、願えますか」
その場に残ったのは夏依・景吾・萩之介・仁、そして近衛兵軍の精市と若の僅かに6名だ。たった、これだけの人数が最終的な詰めをする。国王をその座から逐い捕らえるのは彼ら6人、なのだ。
「陛下御座すは御寝所だろう」
ここからの役割は予め精市と若の間で決めていたのだろう。いや、決めていなくても知っていなくては話にならない。目的地の王の寝所は王宮でも深部・奥宮だ。そこの警衛ともなるとやはりそれなりの者でなくては出来ないのだ。そうなると自然、先導するために精市が前に立ち、殿を若が務める。
王の居室への案内を橘と精市のどちらがやるのかは彼らに任せた。精市がこちらを受け持った理由は知らないが、本当に覚悟を決めさせたなと夏依は思う。勿論、夏依たちの側についたこと事態がもう既に覚悟であったのではあるが。
走るようなことはせず、夏依たちは早足に歩いて奥へと進んでいく。途中女官や侍従に出会い、緊張が一瞬その場に漲ったが、彼女たちは一様に疲れた少し倦んだような表情を希望に触れたようなものに変え、ただ静かに一礼した。
本当ならば誉れとするような王宮勤めの立場にありながら、彼らの心すらも、もう既に離れてしまっているのだ。それはなんということのなのだろう。クーデター、王権交代劇、王位乗っ取り。どんな言い方でもいい。本来であるならば、最も反発する名を持つ者を受け入れるほどに心を離れさせてしまうというのは。
他の女官よりも立場が上なのだとわかる、夏依たちを待っていたような年嵩の女性が恭しく一礼した。
「この先にはあなたがたを快く思わぬ者もおりますので、どうぞ、お気をつけください」
「大丈夫ですよ、女官長。我等が主はお強い方ですから」
精市は一歩横にずれ、すぐ後ろにいる夏依の姿がよく見えるようにしてそう伝えた。夏依は今はまだ無言で会釈するに留める。女官長は初めて見る、新たな王となるであろう夏依の姿を見つめた。
女官長は、ああ、この方が。と思った。この方を新たに戴くのだと。王家の正しい血筋など、気にならなかった。この方を戴くのであれば大丈夫だと、自然にそう思えた。
意志の毅い、清しい青灰の眼を見つめ、深々と女官長は礼をとった。
「再び、陛下のご尊顔がかないますよう、力なき身ではございますがこちらでお待ち申し上げております」
「ありがとう、女官長。俺たちはこれから貴女の世話になる。そうなれば、これから人々は現国王のことを悪く言うことだろう。けれど、どうか貴女は、それだけではなかったことを忘れないでほしい。俺が言うまでもないことだとは思うが」
真摯な色の眼で語る夏依の言葉に、女官長は勿論です、と頷いた。
ほっとしたように笑い、行って来ると言いおいて奥殿に向かう夏依たちの後姿を女官長は礼を送って見送り続けた。
夜はまだ深く、明け方に向かうにも長くかかる刻のこと。
Next
次は国王陛下との対決です。この王はダメな王ではありますが、バカな王ではないんです。バカな人ではないんです。厭って疎んじて愚王を選びました。でも、真面目にやっても賢王にはなれない人。そしてそれをわかっていた人です。ある意味、だからこそ、愚王を選んだのです。そして、だからこそとてもとても愚かなひと。1話目の下書きがあまりにも酷いことを書いたのでちょっと変えました(言わなきゃわからない)。
どうでもいい見た目の話ですが、景吾も国王も先祖帰りな人なので又従兄弟なんていう遠縁のわりには似ています。お祖父さまお祖母さまあたりと似ているのです(この方々は姉弟だったしネ)。国王は退廃美人で、景吾は生きる力の強い美人。