再生への序章






 「と、いうわけだ」
 そう話を締め括った夏依に、周助は軽く頷いた。何も口を開かずに自分と同じように夏依の下した決定を聞いていた仁に水を向ける。
「仁。君からは?」
「ねぇな。特に付け足すようなことは」
 実際、昨夜、仁は橘と殆ど直接話すことはなく、夏依と橘の話し合いを聞いていただけだ。仁がしなければならないと思っていたことは橘が夏依に対してどう思っているかを自分の目で確かめることだ。例えば、どれほど信用ができるのか―――を。そのついでにしていたのは店主を必要時意外近づけさせないように視線で留めていたくらいだ。あとは聞くうえで出た疑問を口にしたが、それは周助への説明には既に盛り込まれている。
「ああ、一つあったな」
 ざっと記憶を浚っていた仁がふと呟いた。夏依は報告漏れを指摘され、欠けていない記憶を考えるように眉間にしわを寄せる。このふたり、随分な量の強い酒を飲んでいたわりに、酔いの名残は欠片たりとてない。正直なところ、周囲が先に潰れてしまうものだからどれだけ飲めば酔うのか、強すぎて本人たち自身未だにわかっていなかった。
「それはまだいい」
 思い至った夏依が仁にそう言う。だが、仁自身もそう言われるのをわかっていたように頷いた。面白くないのは除け者にされている周助だ。
 明るい陽光、明るい人々のざわめきの中で、一人だけむすっとした表情で上目遣いに夏依を睨んだ。
 裕福なほうに分類される市民や下級貴族の若者が憩い、交流するための場――いわば、サロンのようなものだ。上流貴族の子息が王立学院アカデミーに通い、友人を得るように、彼らはここで友人をつくるのである。
「周助。そんな目で俺を見てくれるなよ」
 夏依が困ったような声を出す。
「君が僕に隠し事をするからじゃないか。仁と結託して僕を仲間外れにしようっていうの?」
 恨みがましい声を意図的に出す周助に、そうだとわかっていてもこちらの言い分を押し切りづらい。そのうえ、今はむすっとした顔から、それはそれは素晴らしい笑顔を浮かべている。彼の最上のにっこりは親友だとしても要注意だ。勿論、だからといって自分たちの身を心配しなくていいと知っているのが夏依と仁のふたりなのだが。
「そういうわけじゃない。聞いたところで周助が楽しくないと思うだけさ」
 5人か6人で座るテーブルを3人で占領している夏依たちは、人目を引いても側に人を寄せ付けない。それは、綺麗な銀の髪なのに眼つきの鋭い仁が原因かもしれないし、人を近づけさせないような怜悧な雰囲気をわざと少しだけ流している夏依か、笑顔で人を脅す周助の恐ろしさを感じ取ったのか。何が理由であれ、余計な人が寄ってこないのは歓迎すべきだ。わざわざ追っ払う必要がないのは楽でいい。
「いいから言って。夏依」
 にっこりと、裏の読めない奴ならば、男でも可愛いなどとトチ狂ったことを思うかもしれないが、夏依も仁も僅かに身を引いた。
 どうにも最後通牒であるらしい。
「その日、仁には俺の傍にいてもらうという話だよ。最初から最後まで」
「ちょっ。僕は…!?」
「周助は制圧が終わるまで街のほうにいてくれ。安全だから」
 眉を寄せ、不機嫌を全面に押し出した周助に、夏依は声を下げるように眼で言い、だから、といった。
「言いたくなかったんだよ。先を知れば、お前はそう言うだろうと思ったから」
「僕はまだ何も言ってないよ」
 ぐ、と拳を握る周助に夏依は眉尻を下げた。
「言わなくても、言おうとするのも考えるのもわかるさ。周助のことだろう?
 お前を連れては行けないよ。お前は俺たちほど剣が得手ではないだろう。向かってくれば切り捨てながら進むんだ、周助。だから、お前と裕太は制圧後に俺のところに来てくれ。
 な?」
「…それでも傍にいたいと」
「言うなよ。周助。俺は、お前が傷つく必要のない場で傷つくのを許すつもりはない。そして、剣を振るわずにいていい者には剣を振ってほしいとは思わない。お前が剣で人を殺すことはない。
 それに、お兄ちゃん?お前が俺の言うことを聞かないのなら、裕太も聞かないだろう。
 俺にお前たちを傷つけさせるな」
 きっぱりと夏依は言った。
「周助」
 名を呼ぶだけの拒絶だと、周助は思う。夏依の都合ではなく、周助自身たちのことを思っての拒否だからこそ、周助には従うより他の道を選ぶわけにはいかない。
 ここまで言わせてはいけなかったのだと知っている。だが、言ってほしかったのだ。周助が認めるためには。
「ずるい。仁」
 大事のときに一緒にいられることが。そのときに、同じいたみを共有できることが。
 あえて言葉にしない部分も幼馴染みも兼ねる親友は呆気なく読み取った。
「諦めろ。俺とお前とじゃ動く場が違う。お前の仕事はそのあとに比重があるだろ」
 すっぱりと、珈琲を啜りながら言われた。仁は相変わらず余計な言葉を挟まず、その必要な部分だけを抜き取って言うからいいと周助は思う。彼をよく知らない者はその説明の足りなさで勘違いをする者もあるが、仁のそれを彼らは好ましく思っていた。
 もしこれが景吾あのおとこなら、気に入らない人間の失態・失言・戯言の類をあげつらうのだ。長くはない付き合いだが、周助は景吾がそれをしない相手は夏依だけだろうと思っている。他にいるなら、その相手はそれなりに長い付き合いで弁が立つか、言ったところで流すことができるのだろう。あるいはその両方か。―――周助にその自覚は当然の如くありはしないが、その点、景吾と周助のふたりは同じだ。
 そして、そうだからこそ、周助と景吾の仲はよろしいとは言えなかった。
「さて、納得してくれたか。周助?」
 うっすらと笑う夏依に周助は不貞腐れた。
「納得なら最初からしているよ。認めたくなかっただけ」
 つん、とそっぽを向いた周助に小さく声を上げて笑い、夏依は給仕を呼ぶ。二言三言を言いつければ、給仕は一礼をして去っていく。
 仁は特に何を言うでもなく、だが明らかに揶揄(からか)いを含んだ笑みを滲ませてただそこにいる。
「機嫌を直さないか、周助」
 やわらかな空気の中の柔らかな声だ。彼の身のうちにいる者だけが聞くことのできる、夏依の。
「僕の機嫌を直させるような、そんな秘儀・秘策でもあるの?夏依」
「残念ながら。俺はお前の機嫌を操られるような魔法を持っていないさ。ただ俺が、同じ見るなら周助の笑顔のほうが嬉しいとそう思うだけだな。勿論、拗ねた顔が嫌なのではないが」
 その台詞に唖然とした周助は、夏依と目が合うなり自分の顔に血が上るのがわかった。
「く、く、く、」
 押し殺した仁の笑い声にはっとして、周助は熱の引かない顔で睨んだ。
「仁!」
 鋭く言い放ったところで仁の笑いはなかなか収まらない。声を放ち、大声で笑い出さないだけ、まだ理性がしっかりと抑えている証拠だ。だが、その分執拗なまでに笑いの衝動が残っているらしい。テーブルに伏すようにして肩を震わせている。
「仁。周助」
 夏依の低めの声が改めてふたりを呼ぶ。笑っていた仁も、睨んでいた周助も、そこで一度身を正した。口元を微かに綻ばせて笑っているような夏依にふたりが訝しむより先に、給仕が来て恭しくトレイの上の物を置いていく。とりあえず、給仕が来るから止めたのだとわかったが、テーブルに残されたものを思わず凝視した。
「「夏依」」
「好きだろう?ふたりとも」
 仁の前にはモンブランを、周助の前にはチェリータルトを。付き合いだろう、甘いものがあまり得意ではない夏依はチーズケーキを。
「周助」
「何?」
「紅茶を淹れてはくれないか」
 頼まれてティーポットを取り上げつつ、周助は反論する。仁はそれに周助は夏依が絡むとばかになるな、と思う。思うだけだが。
「自分でやればいいじゃないか」
 言いながらも、やっていれば意味がない。
「お前が淹れたのが飲みたいよ。いちばん美味い」
 夏依本人の意識していない言葉に、それでも周助は再び赤くなった。それもそうで、周助が夏依に勝てるはずがないのだ。
「負けだな、周助」
「五月蠅いよ、仁」
 三人分の紅茶を淹れながら、ぴしゃりと周助は言う。それも赤い顔では怖くもない。
「いつから勝負事になったんだ?ふたりとも」
 不思議そうな夏依に周助はおさまらない赤い顔を隠すこともできないままティーカップを差し出してやり、仁には仁で前にティーカップが置かれるのを待って、
「てめぇは天然だな」
 夏依に向かって深々と言った。妙に口説くような言葉を連発してやるな、というのはやはり心の中の呟きだ。何しろ、にっこりと悪魔のような笑顔を容赦なく放つ親友が、もう一人の親友の言葉にいちいち動揺しているのを見るのは楽しい。
「俺がか?」
 カップを口に運ぼうとして、驚いたように夏依は手を止めた。
「天然?まさか」
 小さく笑う。くちびるが、無意識に彼自身を嘲ったようだった。
「夏依。食べよう。まだ、一緒にいられるんだよね?今日は」
「あ、ああ」
 不意に周助が強く、押すように言った。
「当然。奢りだよね?」
「それは構わないが」
「時間の許す限り僕たちに付き合うんだからね?」
「まるで、日頃の俺の付き合いが悪いように言う」
 そうして夏依は、もう一度小さく笑った。今度はやわらかく。





              

 家路への道が分かれるところで十数年前のいつかの日のように、親友の背を見送りながら周助は言った。今の彼は、泣くことはなく。
「どうして同じものを見れないんだろう。僕は。君と夏依と」
「始まればお前は間違いなく片腕だろう。嫌でも見ることになるぜ」
「サエとあいつと一緒にね」


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