三の郭の外、市街。夕方より夜が押してきている。
背の高い青年が腕を組み、周囲を見るともなしに睥睨している。
人待ちの風情であった青年の色素の薄い眼が求めていた相手を見つけたらしく、軽く眇められた。小さく手を上げ足早に寄ってきた夏依を今度は軽く睨む。平生でも怖いこの青年に軽くでも睨まれるとたいていの人間は僅かなりとて怯むのだが、その様子はない。
「すまない。遅くなったか」
極自然の流れで軽く顎を上げ、目を合わせると笑う。随分と心安い表情だ。
「待った」
こちらも非常に簡潔に答えた。
三の郭にある四門のうち、南門の横手に立っていた青年に仕方がないだろうと夏依は言う。
「お前の髪が綺麗な赤毛に見えてな。正直、遠目からじゃわからなかった。仁は綺麗な銀髪だから、陽の色を受け易い」
楽しげに夏依は言い、今は赤く見える髪をついと引く。髪を引かれる仁は嫌そうに顔を顰め、手を払いはしないがはずさせた。
「今日はじめて待ち合わせたみてぇなことを言ってんじゃねぇよ」
「まあ、初めてじゃないが、仁は俺が着く前に髪を隠しているだろう。見たのは餓鬼の頃で。…そういえば、あの頃も同じようなことを言ってるな、俺は」
思い出すように、目を細めた夏依を放って仁は深い緑色の布で髪を覆ってしまう。
「勿体無い」
気づいて夏依が漏らすのに仁は呆れた眼差しを寄越した。
「馬鹿か」
「仕方がないがな。流石に銀は目立つ」
言う夏依に、わかっているなら言うなと仁はぼやいた。
「夏依」
「どうした」
市街の夜になるにつれにぎやいで行く飲食店の並ぶ一角に足を向けながら、仁はふと気づき、頭半分低いところにあるその頭をわし摑んだ。
「お前、どうして門の内側じゃなく街から来てんだ?ああ?」
ぎりぎりと手に力を込めていく仁を夏依は叩いて止めさせた。斜めに睨み上げる眼差しは剣呑だ。
「なんつー方法とりやがる。てめぇの握力いつくだと思ってやがんだ」
乱暴な口の聞き方に、にやりと仁は笑った。
数年前に再開を果たした幼馴染みは、当時でもっても綺麗な飾り言葉を使えていたが、今は完璧に身につけていて、正直なところ、仁には面白くない。
そうでなければならない立場で生きるしかなかったとはいえ、自分相手に作り上げた表層は必要ない。
「知らねぇな。で、なんでだ」
わし摑まれたときに乱れた前髪をかきあげ、眉間に入れていた力をゆるめた。
「ったく。下見だよ。俺とお前なら下町の飲み屋でも女郎街の食堂でもかまわねぇが、周助は行けねぇだろ。浮くぞ、あいつは」
「…馴染んでるお前のが違うんじゃねぇのか」
立場を考えれば、夏依が馴染んでいるほうがよほど奇異だ。間違っても爵位を持っている人間が行くようなところではないのだ。
少し着崩した婀娜な酌婦がいる方面に再び歩き出し、2人は相変わらずの調子で会話を交わす。
「王立学院のときによく景吾と行ったんだよ。こうやって変装して、悪所には一通りな。それも勉強だっつって」
「そいつは公爵サマじゃなかったか」
「ああ。爵位を継いだ直後は止めたが、今も偶に飲みに行ったりするな」
「お目付け役は何してんだ?そりゃ」
呆れた仁に夏依は笑った。
「それが神谷、そのお目付け役が勧めたんだよ。当時は景吾の父親が公爵だったんだが、何でも『公爵家を継ぐのなら、逆に人々の生活をよく知っておくべきです。先代様より始められた事業のこともございます。人々が何を思い、何を感じているのかを知らずして何としますか』だったか」
「で?」
「で?俺も行っただけさ。親父殿にも景吾と勉強すると言えば泊まり込めたしな。なかなか有意義なもんだよ。今だっておかげでこうして仁と飲みに行けるしな」
はは、と笑う夏依に、そうじゃなくてよ、と仁はうめいた。
「てめぇらは何してたんだ?」
「勉強さ。世間のな。俺が仁たちとの約束を果たすには社会と人心を知らずしてはできないだろう?疎んじているのが俺たちだけだと、一方的に俺たちが国賊にされて終わってしまう。人心は俺たちになければならない」
より多くの支持を得ておくにこしたことはない。
人々のざわめきに埋もれるような声で夏依は言った。
彼らの大義は必ずしも理解されるとは限らないのだ。血統を重んじる貴族諸侯は当然彼らを簒奪者と呼ばわるだろう。高貴なる王の血を引かぬ下賤の身で、と。特に、母親は伯爵家の娘ではあるが、夏依自身は朔宮侯爵家にとって妾腹の出に過ぎないこともあげつられるだろう。血統に重きを置かなくても、王家の血を引かない者を戴くことに眉を顰めるものは多くあろう。この国はそういった思想世界のなかにあるのだ。
だが、それでも構うまいと決めたのだ。今ある王朝を倒すということを。そして、事実、彼らは簒奪者となる。と。
なにより、物分りがいいと言えば驕りとなるが、そういった貴族も慥かにいる。その筆頭が跡部公爵家だ。他にも、生活が厳しくなっていったなか、領民に私財を切り崩していった貴族たちは静かに彼らに支持を寄せている。
国王は崇めるものであり、祖王の血を引いているということは王たる資格の主要なひとつだ。それでも、国王とは国民に尊敬され、国民は国王に従順であるものだが、それは国王が国民を守る義務を果たしてこそでもあるのだ。
国民を守るための施政を行わず、臣下の諫言を聞かずでは、国王から心が離れていくのは当然の事の成り行きであろう。過去、このような動きがなかった――あるいは表面に出る前に潰えた――のは、そう考える者も、行動に移す者も、あるいは支持される者もいなかった、ということだろう。若しくはただ、王の権威がそう考えることさえ許さないほどに強固であったのか。
「あるだろ」
下級兵士や職人・町人・独り者が酒と夕飯を食べに行く食堂のひとつのドアを開けながら、仁はそれだけを答えた。思っていたよりも歩いていたらしい。
店の中は閑散としているというほど少なくはないが、満席というには程遠い。
「この店は飯も避けも美味いのにな」
来慣れた台詞をぽつりと夏依は零した。仁は顎に引いて首肯し、奥の方のテーブルで向かい合う。
「余裕がねぇんだよ」
臓物の煮込みや干し魚のあぶりなど酒の肴になるものを数品と強い酒を注文し、仁は言った。
「其処此処美味い店に行くがな、どの店もこんなもんだ」
「珍しいな、あんたが連れか?」
陽気そうな店主が仁に声を掛け、「おや、あんただったか。久しぶりだなぁ」と夏依にも声を掛けた。
「いつもの綺麗な兄さんはどうしたい?」
「あいつはまだ仕事が残ってんだとよ。勿体ねぇよなぁ。折角親父の美味いの久々に食おうって思ってたのによ」
随分来てなかったってのに俺たちを覚えていてくれて嬉しいねぇ、と夏依は店主の腕を乱暴に叩く。
「そりゃぁなぁ。お前さんたちが入ると店が沸いたからぁな。別嬪さん。お前さんたちが入るとどの店も人入りがよかったんだよ。知らなかったかい?」
店主は豪快に笑い、夏依の背を叩いた。
「どおりで、よくしてくれたわけだ」
ははぁ、と納得した夏依に、店主は問いかける。
「これからは、また、来てくれるかい?」
「そうだな。また歓迎してくれるのか?」
茶目っ気たっぷりな表情に店主は再び豪快に笑うと気前よく頷いた。
「それじゃあ、あいつも誘ってこよう」
こちらも笑顔で容易く請け負った夏依の肩を最後にもう一度叩き、店主は機嫌よくさっきから呼んでいる客の方に行った。その後姿を軽く目で追い、正面の仁に夏依は笑いかける。
「随分と顔が知られてるじゃねぇか」
夏依が話している間に一杯始めていた仁が楽しげに言う。
「ああ。俺も驚いた。流石に客商売だな。半年以上は来てなかったんだが」
注いでもらった火酒を一口で呷る。美味そうに眼を細める様はしなやかで美しい猫科の獣のようだ。お通しを口に運び、手酌で酒を飲む。その姿はこういった店によく来る者と何らおかしなところのない自然な姿だ。
「お前のツレってのは」
「ああ、そりゃ、景吾しかいねぇな。たまに違うのも混ざるが」
再会してからそれなりの時間が経ち、仁や周助の家で酒を共にすることはあったが、こうして外で飲むのは初めてだったか、と今更ながらに思う。いろいろと話していたと思うが、話していないこと、知らないことはまだ随分とありそうだった。だが、それは、これからの時間で知っていくだろう。それとも、知らないままに過ごすか。
「それも、まあ、いいさ」
小さな声に仁が店の入り口に向けていた眼を夏依に戻す。口端を上げて彼は笑い、
「第一、こういった店以外では橘と会う機会がない。家に呼べば噂が人の口に上るだろう」
「そもそも、どうやってつなぎをつけたんだ?」
「持つべきものの中には王立学院時代の友人も入るってことだよ」
店主に向かって空になった瓶を振る。
「お前、ペース速くないか」
「お待ちどっ」
夏依の言葉にかぶさるように店主の声とト、トンとそれぞれの前に臓物の煮込みを置き、空瓶と持ってきたのを取り替える。
「親父。後でもう一人来るから、杯を一つ先にくれねぇか」
「あの綺麗な兄さんかい?」
「いいや。男前のいい男だ」
手を振り、苦笑して否定するのに、そいつぁ残念だと零し、すぐに持ってくるよ、と席を離れた。二人とも熱々の煮込みが一番美味いことをよく知っていて、暫くは話もせず、美味い料理と酒を愉しんだ。
頼んだ料理がテーブルに揃い、数度の酒の追加の間には、ぽつりぽつりと声を交わすだけであったが、それが自然であり、快いものであった。
ドアを開ける音に何気なく視線をやり、夏依は酒盃を上げ相手に知らせる。入ってきた男は外套を脱ぎ、夏依の隣に座った。
「すまない。遅くなった」
「構わんよ」
伏せていた酒盃を渡し、酒を注いでやり、仁が手酌をする前に酌をしてやると、仁が瓶を取って夏依に酌をし返した。
酒盃を合わせるようなことはせず、軽く上げて口に運ぶ。すると、呼ぶ前に店主が何品か持ってやってきた。
「別嬪さん。お前さんが来てから今夜は入りがいいからこれはおまけだ」
機嫌よく笑う。
「で。あんたらの待ち人は司令官殿だったのか。いつ知り合ったんだい?
司令官殿はいつものでいいかい」
気前のいい店主に夏依は礼だけを滑り込ませ、橘が頷くと自分が訊いた返事を聞く前に勝手に他所のテーブルに行ってしまう。来たときとは違い混んだ店内は酷くにぎわっている。
「橘。紹介しよう。阿久津 仁。俺の幼馴染みだ。当日、俺の傍にいることになると思う。
仁。橘 桔平。云わずと知れた近衛兵軍の司令官だ」
簡単すぎる説明だったが、二人にはそれで十分なようだった。橘の名は知られているし、仁は夏依に絶対の信頼をおいている。畢竟、彼が必要だと思い、引き込んで会わせるような相手ならば、信じられるものであるのだ。利用するだけであれば前もって言っておくだろう。橘にしてもこれまでで会っている夏依を信用している。彼の幼馴染みで大事の際に傍にいさせるつもりであるという言葉から、夏依の仁に対する信頼が窺えている。彼が夏依を裏切ることはないのだから、えてして、橘が夏依の側でいる限りは何の問題もない。
「ほぉら、ご注文の品だよ。お前さんたちでもこれだけあれば足りるだろう?暫くは飲んどいておくれよ」
多めの酒と料理を持ってきた店主が知り合ったわけを聞きたがるのに夏依は面白くもない話だといって話してやる。
「別の店で隣り合うことが何回かあってな。気がつけば飲み仲間ってやつさ」
店主は、なるほどなぁと頷いて、次からはうちで頼むよと勝手口に戻っていった。内側に入るのを目で追い、夏依は視線を戻して苦笑した。2人して胡乱な眼差しを送っていたからだ。
「何も知らない相手に真実を話す必要はなかろうよ」
嘘を咎めるような橘にはそう言い、仁には肩を竦めることで答える。先の説明の続きはどちらにせよ、今ここですることではない。
夏依はとりあえず橘に食事を済ませるように促した。橘が食事をしている間、夏依と仁はゆっくりと酒を飲む。橘の食事が終わり、いくつかの言葉と杯を重ね。
そうして夏依は、獲物を狙う獣のように眼を細めた。簒奪を行う、それはこの国に生き、この国を愛する者の誰もが目を瞑り、目隠しをしてきた権利だ。獰猛な気配と鋭い爪を隠した、しなやかな猫科の獣は、
「話を、しようか」
酔いのない鋭利な意志を潜ませて笑った。
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意外と長くなった2話めです。
橘を出さなきゃいけないのになかなか行き着きませんでした。
阿久津といさせるのが好きです。唯一、微妙に寄りかかってもいい。彼は身内(主人公とか不二、あと裕太)には兄貴。本人には自覚はないけど。ありのままであればいいと昔から言っていた人なので、たまに軽くよっかかったりするのです。黙っているだけでいい人。
書いていて意外に楽しかったのが店の親父です。おかげで結構で出ます。この先の話しでも出ればいいな。
次は不二と阿久津と主人公です。