再生への序章






 簡略した即位の儀をバルコニーで済ませ、室内に戻っても止まぬ歓呼の声に夏依は再度バルコニーに出て応えた。だが、そう時間を取れるはずもなく、内庭に集まっていた国民をそのなかに紛れていた目立つオレンジとうまく誘導して帰させる。それでもこの歓迎ぶりは単純に嬉しく、自分たちの治世の間と続くその後にもこの活気が守られればと思う。
 王冠を神官長が乗せてきた台座に戻し、控えていた侍従長を振り返った。
「では侍従長、先ずは王宮内の案内を頼む。細々と知っておくほうがいいことの説明もその間にしてくれ。諸卿は早急さっきゅうに決めるべき案件をまとめておいてくれ。戻り次第取り掛かろう。食事は随時摂ってくれていい。各自の判断に委ねよう」
 やらなければならないことは多くあるのだ。
「陛下にお願いが」
 振り返った先の侍従長がそう言うのに夏依はある種の確信を持ちながら、何かと促した。
「本日の陛下のご案内をもちまして、私は職を退きたく存じます」
 やはり、と思いつつ夏依はどうすると問う。
 別に侍従長に何事かの咎があるのではない。先王を止められなかったと言われれば間違いではないが、彼は王を正そうとしていた側である。それなのに咎められるのもどうか、と思う。だが、侍従長が納得することも、その意志が変わることはないだろうことは疑いようがなく、夏依はその提言を認めるのだろう。長がつく者が夏依の側につき、その座を狙う次席が王に阿ったのだ。
「陛下がお許しくださるのであれば、愚息に。十年ほど私の側に侍従として勤めさせ、私の知りうる限りのことを教えました。経験は足りませんので長く私の補佐を勤めた者と使っていただきたく存じます」
 侍従長の後ろに巨体がひっそりと控えており、夏依に向けて頭を下げる。朴訥であるが、同時に純朴そうでもある。その隣に壮年の男がおり、彼が侍従長の補佐をしている男だろう。
「本人たちには言っておりますので、陛下のお許しさえいただけましたらば」
 そうして侍従長は深々と頭を下げる。彼が示せるこれが責任の取り方なのだ。
「わかった。認めよう。一緒に来てくれ。諸卿も各々頼む」
 官等の応えを聞き、榊に謝意を示して案内について夏依は謁見の間を出て行く。ついていくのは仁に景吾、精市と護衛の近衛兵が何人かだ。周助は文官たちとその場で協議を始め、萩之介は慈朗を連れて榊の前に立った。
「公爵は滞在なさいますか?でしたらご案内させていただきますが」
「いや、陛下はお忙しそうだ。退出のご挨拶を申し上げ次第領地に帰ろう」
 受けて萩之介は了承を示したが、慈朗は非難がましい声を上げる。
「公爵が帰ったら一の郭の家ってどーすんの?オレ何処に帰んの?」
「王宮に部屋を頂かなかったのか」
「ねーよ。なぁ、滝」
 不満げに頬をふくらませて慈朗は萩之介にふる。萩之介は苦笑して、官たちの注視を感じながら榊に理由を話す。
「陛下からお話は頂きましたが、私も彼も伺候するとは言い難い立場ですから。お互い、ここではなく仕事を持つ身ですし、僭越かと存じましたが辞退させていただきました。跡部公爵は陛下のお近くに一室賜ることかと」
 はんなりとやさしく笑ってみせた。そうか、と榊が頷いた。
「家は開いてるから帰れるぞ、芥川。家人も残る。お前は好かれているし、私もなるべく顔を出そう」
「ありがと、公爵。でも、オレなんか夏依ちゃんとこに行ったらそのまんまになりそー」
 えへへーと慈朗は笑った。萩之介と榊は慈朗の性格を思い、1泊もせずに変えることはまずないだろうと当然のように思った。
「たまには陛下の息抜きにいいと思うよ。さ、公爵。それでは私たちは陛下がお戻りになられるまでおとなしくしていることといたしましょう。ご挨拶は昼食時に。申し訳なくも思いますが、陛下の御政務を邪魔せずに済みましょう」
 謁見の間からの退出を榊たちに促しながら、萩之介は振り返り周助に言った。
「不二殿。私たちは紅玉の間におりますので」


 昼食を共にして退出する3人をその場で軽く見送り、夏依は執務室に戻ると午前中の仕事の続きを周助と佐伯サエと文官を交えて案件の話の続きを始めた。夏依たちからの打診があったときからまとめだしていたのだろう。朝方に伝えたばかりだというのに随分としっかりつくられていた。
 それでも、担当する官の不在や新体制にするにあたってつくるものについてはまだできない。その関係で先延ばしにするしかない案件もあり、ふと時間があいた。
「周助。少し歩いてきてもいいか?」
 暫く待っても人が来る気配はなく、夏依は左横の机に訊ねた。サイン済みの書類をまとめ、使った資料を大雑把に分けていた手を止める。
「お茶でも持ってきてもらって、休憩するんじゃなく?」
 お茶にするにはちょうどいい時間だけど、と言われ首を振った。昼食から3時間近く経っていて喉が渇いている気はしたが、まだ保つ。
「いや、やはり歩くよ。お茶はその後にしよう。問題は?」
「大丈夫。夏依たちが案内してもらっていたときに話を聞いたけど、今日できるのはもうないかな。中途半端にまとめるくらいなら、イメージと資料をしっかり集めて夏依と話し合えるようにと言っておいたし」
 頷いて立ち上がると夏依は大きく伸びをした。肩を回すと凝った音がする。
「まだ来るだろうからちゃんと戻ってきてよ」
 正式な場より早く王と目通りを願う者は伺候の挨拶に続々と訪れている。
「ああ。十分くらいで戻る。滞っていたという仕事も、先の樺地侍従長と樺地侍従長、高瀬補佐が来たら片付けないといけないしな」
 出て行く夏依の後をついていく仁がそのまま横を歩くのを周助は座ったまま見やって、やれやれと溜息をついた。話を詰め切れなかった案件の資料を探しに言った佐伯と景吾が戻ってきたら女官か侍従にお茶を頼もうと止めた手を動かし始めた。


 周助に言ったように夏依は人を他愛無い話をしながら王宮をゆっくりと歩く。たまに横目で見た部屋の扉に視線を残し、案内されたときの説明を脳内から浚い出す。ホールの近くまで歩き、ふたりそろって踵を返した。その先には隠し通路はない。約束した時間を考えるとそろそろ戻り出すべきだろう。別の道の方は明日にでもすればいい。
「仁、覚えてたか」
「ああ」
 戻る道では小さく答え合わせをするために声に出す。謁見の間の前に差し掛かるところで後ろから早足で追って来ているような気がして夏依は足を止めて振り返った。仁は足は止めたが半身を捻っているだけだ。
「あれ、気づいたのか」
 何故か眼鏡を逆光で反射させて長身の青年が面白そうに呟いた。距離はまだ十分にあり、気づくには早い。興味深いななどと言いながらどこかから取り出した紙に何事かを書き付ける。
「もう戻ったのか。思っていたよりも早いな」
 軽く目を瞠って、本当に驚いたように夏依は言った。
「よく言う。2ヶ月も前に鳥を飛ばしただろう」
 眼鏡の青年の隣にいた目の細い青年が言い返した。青年ふたりはまだ旅装で先ほどヴェストファーレンに着いたばかりのようである。服装は草臥れているが、彼らは気力も十分に活き活きしている。
「飛ばしはしたが、お前たちが戻るのはもっと遅いと思っていた」
「その割には通行の許可証を同封して知っている相手を大門に?」
「即位から時間が経っていたら意味がないだろう。折角3年も掛けて諸領と国境のことを調べてきたっていうのに」
 呆れたように言いながら、それでも略式の即位の儀に間に合わなかったことを残念がった。それに夏依は馬鹿を言うなと笑う。
「だが、今来てくれてよかった。お前たちがいると案件を詰められそうだ。乾、柳、疲れているかもしれないが大丈夫か?」
「勿論。できないように思うか?」
 静かに、だが自信を持って問い返した柳に首を振ることで応えた。夏依が話している間、仁はその場にいないかのように傍に控えている。
「なら行こう。ちょうど休憩になるからお茶と軽食なら出せるだろう」
 立った儘も何で、執務室に戻ろうとしたときだった。
 慌しく走る足音が聞こえ、何かあったかと思った。
「夏依!」
 ここ十数年で聞き慣れた声に振り返りながら小さく、父上と誰にも読み取れぬほどに唇を動かした。
「見知った相手だ。こちらは構うな。持ち場に戻るように」
 名を呼んだ男を無視し、ここまで走ってきた男を追ってきた近衛兵にご苦労と労いつつも戻るように指示した。男に話させる隙を与えず、次いで乾と柳に眼を向ける。
「すまないが先に執務室に行って宰相と情報をまとめておいてくれ」
「承りました。陛下」
 右手を胸に当て、ふたりはそろって礼を取り、夏依が頷くのを確認すると言われたとおり執務室へ歩いていく。その姿をちらりと見送り夏依は正対した。
「朔宮侯爵」
 男が何かを言い出すより先に、夏依は先制を機して口を開いた。
「跡継ぎを、早く選ばれるがよろしかろう」
「……夏依」
 唖然とした、父親だった男に頓着せずに言葉を続ける。泰然とした様子の夏依は男の知る息子ではなかった。男は息子のことを何一つ知ってはいなかったのだと、知った。
「縁者より子を引き取られるよう奨めよう」
 一方的に、けれど絶対の強制力で突きつけられた訣別の、宣告だった。
「陛下」
 先ほどのふたりの青年が進んだ王宮の奥に近い方から宰相らしい身形の青年が現れ、言葉を綴る。男に言葉を発する時間を与えない。否、男の存在そのものを無視して。
「内外に示しますため神殿にて正式の即位の儀を行っていただきたく存じます。つきましては式部官長が相談があると申しますので、申し訳ございませんが陛下にお戻りいただきたく」
 存じます、と恭しく礼をした。
「今、行こう」
 既に男には用はないのだと示す。話すことはないと。
 すいと先立って宰相の青年が。国王が歩き出せば影のように護衛が半歩の差をもって続く。
 それを見て、男はその場にもう一人目立つ銀の髪をもつ護衛の青年がいたことに気づいた。
 数歩離れてから夏依はぴたりと足を止めた。付き従う青年は予備動作がなかったのにも拘らず合わせて止まる。宰相の青年は一歩だけ進んだ。
「侯爵に引き取られるときには決めていた」
 夏依は独語するようにして父親だった男に言った。
「引き取られ、名は同じでも朔宮とは身を分かちました。侯爵は父ではなく、私は息子ではない」
 言い捨てる。振り返らないままだった夏依は言い捨てふたりの青年を連れるようにして行ってしまった。男は問うはずだった言葉を失い、ただ、その後姿を見送るしかなかった。
 呆然と見送り、その付き従うふたりが、過去に数度見たことのあった息子の幼馴染みだったことに気づき、男は自分が本当に何も見えていなかったことを知った。





                Fin


 と、いうわけで1章終了です。
 話の始まりが幼馴染みと母親でしたので、終わりは幼馴染みと父親で。
 これで主人公は父親と訣別します。今までも心理的にはずっと離れていましたが、明確な別れです。
 この後におまけの蛇足的な話があるのでよろしければどうぞ。本当はそこまでで終わりにするつもりだったんですけど、雰囲気がちょっと違いすぎかなと思ったので蛇足扱いで。


 背に向けられ続けた視線が拡散したように感じ、夏依は軽く息を吐いた。ちょうどよく角を曲がったところで周助が横に並ぶ。
「式部官長は執務室に?」
「要望は受けたけど後日にと言ってあるよ。夏依はき日とか気にしないでしょ。だから日を決めて夏依が覚えることを教えるときにと」
 夏依は頷き、隣に並ぼうとしないもう一人の幼馴染みを眼で招く。
「なら、3年掛けて調べてもらった情報の活用でも考えるか」
 国内全土を網羅して直に眼と耳で調べさせたのだ。国境沿いの状態の実情と過不足なく必要なところに必要なものを用意するために。
「仕事とするか」
 雑談混じりに話して着いた執務室の扉を開けようとして周助が先に取手を摑んだ。無言で睨むような眼が自分でやるなと訴える。
「や。お帰り」
 開いた扉に向かって佐伯がティーポットの最後の一滴まで丁寧に淹れながら言う。執務室の机の前にある応接セットに広げられたのどかなティータイムの風景に覚えず夏依は溜息をついた。ソファの一つには乾と柳が座って焼き立てと思われるスコーンとサンドウィッチを食べていた。
「一体、何を…」
 思わず呻いた夏依を残して周助は先に乾たちと向き合うソファに座ると佐伯がその隣に。仁は夏依の肩を叩いた。
「続きは休憩の後に、なんだろ」


 苦笑いして夏依が一人がけのソファに座ったその数分後。
「仕事をしろ!!」
 夏依が頼んでいた資料を持って訪れた景吾の雷を聞きながら、別口からの情報を手にした萩之介がいつの間にか再び登城していたらしく、入り口で怒鳴る景吾を典雅に無視して夏依の紅茶を一口貰った。


              Fin
 やっぱり私は滝で落とすのがすきなんですナァ。
                      あとがき