心の触れ合う深度






 国王業というものは忙しい。基本的に国王本人は執務室の椅子に座ったまま用のある者が出入りするのであるから、物理的にありえないが、それこそ目の回るほどに忙しい。何しろ業務補佐をする官はいるが、決定を下すのは国王なのだ。聞かねばならない話も勉強しなければならないことも掃いて捨てるほどにある。
 そんなわけで夏依は連日朝は早くから夜は遅くまで執務室か自室に籠っていた。それが、実に半年もになる。
「少しは休めよ、夏依」
 その日も王務について詳しい者と話し込んで夜も更けた頃に居室に戻った夏依を、そんな言葉が迎え入れた。
「…景吾。無闇に且つ、適当に気配を滲ませているな。危ないだろう」
 一息に距離を詰め、首筋に刃を当てたまま、夏依は疲れた溜息をついた。あと少し強く押せば間違いなく血が流れる。今だとて剣を離せばうっすらと血が見えるだろう。
 ドアに背を向けるように座って夏依のことなんぞ見てもいないくせに、景吾は剣の腹を押して刃を離させる。
「お前ともあろうものが気配に気づきながら俺だとわからねぇのが問題だと認識できてるのか。夏依?」
 些か険を強めた声音を放ち、景吾は机のランプに火を入れた。ほわりと暗い部屋の中で明かりが灯り、夏依はその間に剣を鞘に戻し、景吾の向かいに座った。使い終わったマッチはランプ台に置く。
「こんな遅い時間に部屋で待ってるってことは何かあったのか?それなら執務室に来ればよかったろうに」
 至極真面目に言った夏依ほとほと呆れたように景吾は溜息をついた。
「景吾」
 その景吾の様子に夏依は訝しむ。景吾はそれに更に深く重く溜息をつきたくなったが、それはさすがに抑え込む。だがやはりわかっていなかったのかと蟀谷が引きつくのは堪えきれなかった。
「その、こんな遅い時間まで連日起きていられるという自覚は当然のこと、我等が偉大なる国王陛下はお持ちでいらっしゃるのか」
 消しきれなかった皮肉は未熟というべきか、致し方ないことというべきか。
 言われた側たる夏依は咄嗟に返すことができず、沈黙で答えた。無理をしている自覚はあると、能弁であるよりも雄弁な返答である。それに蟀谷の引き攣りよりも歪んだ笑みが強まるのを景吾は認めた。
「我等が偉大なる国王・朔宮夏依陛下に申し上げます。陛下の御身は我等ウェストファリアの民にとって、比ぶること能わぬほどに尊く、大事と思うもの。陛下の慈悲深き御心が我等が民がために無理をなさっていることは恐悦に存ずるものではございますが、それ故に陛下にご無理を強いるような行いは我等は総意して望んではおりませぬ。
 陛下がお急ぎになられるお気持ちは筆頭公爵にして臣たる私もわからぬことではございませぬが、一朝一夕にてのものは難しうございます。ごゆるりとお覚え召されませ。非才の身ながら私も陛下をお助け致します。皆も」
 だが、歪んだと認めた笑みは次の瞬間には酷く真摯でやさしさと辛さを秘めたような表情になって、懇々と典雅な口調で景吾は夏依に説いた。だが、その典雅な口調も皮肉と聞こえないこともない。
「景吾。だが、」
「仰らないでください、陛下。陛下の御意志に添えぬと申し上げる私が至らぬのです。ですが陛下。陛下の御身を心配する僭越をお許しくださいますよう。陛下がお倒れになられるようなことがあれば、我等は尊き陛下を傷つけた者として死をもって贖わなければなりません」
 景吾のとうとうとした語り口につい黙った夏依もそう言われ、強い口調で遮った。
「待て。何だ、それは」
「陛下の体調に気を配るが侍従・女官・侍医の職務。それが果たせぬが罪。陛下が望まれようと陛下にご無理を強いたが諸官の罪。陛下のご無理をお止めできぬこと、これが我等が罪。
 これらが我等の罪であり、陛下に対する罪には極刑にこそが然るべきもの。死をもつより他に贖うことはできません」
 激する手前の感情を強引に押さえつけている夏依とは違い、景吾はひどく静かだ。さっきまでは景吾のほうが怒りの自制があまかったというのに不思議なほどの逆転劇である。
「―――跡部公爵。何故なにゆえ、我が居室へやに?」
「僭越ながら、陛下をお諫めするためにおりました」
「それは筆頭公爵としての責か」
「否定すべき言葉を持ち合わせてはおりませんが、陛下の友たる身であると自負を持って申し上げました」
 ピリリと、闇に浮かんだ橙のランプの明かりを挟んで、王と臣下は対峙した。
 王はゆっくりと息を吐き、心持前のめりになっていた体を戻す。臣下はきれいに伸ばした背筋のままだ。
 睨みあう、まるで剣の打ち合いが始まる前の、眼差しで行われる攻防のようだ。
「わかった。悪かった、景吾。もう無理はしないと誓う」
 短くはない沈黙の末、先に口を開いたのは夏依だった。
「誓う?」
 つ、と目を細め、景吾は聞き返す。
「誓う。無理はしない。お前を、お前たちの誰かも、この王宮に勤める者も、俺の無理では殺させない。倒れるような無様なことはしない。そう誓う」
 夏依はそういい募った。王ではなく友として、臣下ではなく友として諫める景吾に夏依もまた友として真実と誓う。
「ならいい。さっさと着替えて寝ちまえ」
 尊大に笑む景吾の夏依は従いながら疑問に思った。
「お前は?」
「俺はてめぇが寝たのを確認してから部屋に行く。朝迎えに来てやるからそれまでは目が覚めても寝台で休んでろ。書類裁いていやがったらおじいの睡眠薬飲ますからそのつもりでいな」
 返ってきた答えも景吾らしく尊大だった。既にソファにふんぞり返っている。さっきまで、皮肉か臣下の心得か――わかる日はおそらく来まい。両方という線もあることだし――偉大なる陛下と臣下の手本のようだった姿はない。だが、これぞ景吾というものだろう。
「それならお前も一緒に寝るか?景吾。そのほうが面倒がなくていいだろう」
「てめぇな」
「それに。景吾が迎えに来る前に寝室に戻るならわからないとは思わないか?」
 そう言って夏依は笑う。
「夏依。王であるってめぇが、たとえ昔からの“友”であっても寝室にそう簡単に誘うんじゃねぇよ」
 眉間に眉を寄せ、まるで教育係のように景吾は言いつけた。
「俺は王ではなく俺個人として言ったんだが」
 それに今度は夏依が不機嫌そうな顔をする。
「それでも、だ。てめぇがいくら一個人のつもりでも、周囲は王としてしか見ないんだと覚えとけ。
 で、だ」
 寝室のドアを開け、景吾を待つ夏依の前に大またで近づき、その首に手を回してぐいと引き寄せた。唇が触れ、呼気が混じりあう近さで、囁く声が恫喝する。
「てめぇ一個人であろうと、簡単に人を誘うな」
「俺は、自分からはお前しか誘わない」
 それこそ誘うように夏依は景吾に囁き、先ほどつけてしまった首筋の傷を舐める。うっすらと滲んでいた血を舌先で拭い取ってやり、満足そうに頷いた。だが、その言葉には誘いはしなくても頼まれたら受け入れると言うことが透けて見えている。
 景吾は喉で笑い、眼を眇め、どう教え込んでやろうかと考えながら、自分ごと王の、夏依の寝室に入るようにドアを閉めた。





            Fin
 そんなわけで跡部ルートの短編です。BLです。でも、どっちがどっちかよくわからない話となりました。でも、私はノットリバ派なので、リバではありません。とりあえず今回は上限の見えない友情くらいの気持ちで。
 この話はそもそも
「てめぇが俺のだけのものならいいのによ」「お前だけのものにはならないが、愛しているのはお前だけだと知っているだろう」「お前を愛している奴は俺以外にも多くいるがな」
 と言う会話をいれるはずのものでしたが、入らなくなった話です。下書きのときには入れていたんですが、無理矢理観があまりにもだったので、さっくり切りました。
 お楽しみいただけたら幸いです。


2006/07/09